変容の運河へ、「帰れなさ」とともに
〜七尾旅人『Long Voyage』と、その航路によせて
安東嵩史

〈Ⅰ〉

 2020年の4月、七尾旅人と長い電話をした。
 世界が新型コロナウイルス感染症という未知の経験の中に放り込まれ、グローバルに流動していた人間たちがそれぞれの身体と、周辺の限定された空間に閉じ込められてしまってから数か月。いま何が起こっているのか、これからどうなるのか、自分には何ができるのか。思考と言葉を重ねれど空転するばかりの日々に少し疲れた頃の約三時間の会話は、互いに激変してしまった生活のこと、この先やろうと思っていること、犬たちや家族のことなど。それから二年と少しの間に何度もやり取りをし、人の流れが少しずつ旧に復していく中で直に会うことも増えたが、あの夜の会話はやけに筆者の中に質感をもって残っている。誰もが「今」という時間を名状できず、細切れにされた沈黙の夜に沈む中で、自分には確かにこの他者と話すことがあった、それゆえに自分はまだこの「今」に存在しているのだという、安堵に似た感覚がそこにあった。
 2022年の夏、七尾から送られてきた『Long Voyage』の音源を聴きながら思い浮かべたのも、あの夜のことだ。

「Long Voyage『流転』」に始まるDisc1は、人通りが途絶えた真夜中の街を走る車中で、流れる風景と心象を歌う「crossing」につながる。七尾の暮らす三浦半島から横浜横須賀道路、首都高速湾岸線を経て東京都内へと向かう横浜ベイブリッジを渡る眼下には、きらきらと光り輝くダイヤモンド・プリンセス号のヴィジョンが見える。
 2020年1月20日、横浜港から「初春の東南アジア大航海16日間」ツアーに出港したこの船は、帰港目前の2月1日に、香港で下船した乗客の一人のCOVID-19感染が判明。2月3日に横浜港に帰着したものの、船はそのまま港に留め置かれた。船内の隔離・防疫体制もなかなか整わないままアウトブレイク(集団感染)が発生し、陽性者が次々と報告される。中国を除くと当時の世界で最大の集団感染であったため、57ヵ国から集まった乗員乗客あわせて3,713人は3月1日に全員が下船するまで、全世界が注視する中、本来続くはずのなかった、どこにも行けない船旅を続けることになった。

 あの頃、多くの人が未知の感染症に対する恐怖や不安、当惑、そして相互不信を募らせながら暮らしていた。横浜港にその姿を晒し続けるダイヤモンド・プリンセス号はそんな人々の心を映す鏡像として、想像の港に得体の知れない巨大なカタストロフ(災厄)のように屹立していただろう。その姿を心中に宿したまま、人々はあの春を過ごした。自宅で、職場で、路上で、誰もが意図しなかった時間と空間で、状況を語る言葉を失い、バラバラに停泊していた。それだけに、あの夜の七尾との会話はまさに<言葉が尽き果てた世界で/それでも君となら 話せる気がする>というものとして残ったのだった。信頼をベースに交わされた声だけのやり取りは、遠い夜の海に隔てられたような日々の中でも確かな安全圏だと感じられた。

 2023年に聴く「crossing」の中で、ダイヤモンド・プリンセスはベイブリッジの上から見下ろす海に木の葉のように浮かぶ、あの頃のイメージより遠く小さく頼りない姿で描かれていることにも気づく。その距離に、この三年という時間を思う。人々は状況に順応し、新しい日常という名のもとに生活を正常化しようと努めてきた。しかし、その陰では多くの命や機会や関係が沈黙のうちに失われた。そして、変わらず増え続ける死者数をただの数字と振り捨てて平常運転に戻ろうとする世界に待ったをかけるように、ゼロコロナ政策を転換した中国において爆発的な感染拡大が報告され、各国はまたもや水際対策に追われた。
 本稿を執筆している2023年夏、感染者数の公式発表を取りやめた日本では「第9波」ともいわれる医療の逼迫が顕著になっており、さりながら私たちのほとんどはその実相を知ることもなく暮らしている。街は光と自由を謳歌する市民や観光客で、医療機関の待合室はうつむいて順番待ちをする人で、それぞれに溢れかえっていながら、ふたつの世界は早くも切断されかかっている。その境界が本当は曖昧で浸漬的であることを示す「感染者」という存在がデータの上でも不可視化されたように、パンデミックは「コロナ明け」などと嘯く世界から切断・隔離されながら、確実に続いている。状況は波のように寄せては返し、私たちは皆、あのバラバラの夜から続く時の流れの中で、予想もつかないどこかに運ばれている。