変容の運河へ、「帰れなさ」とともに
〜七尾旅人『Long Voyage』と、その航路によせて
安東嵩史

〈IV〉

『Stray Dogs』以前の数年の間にも、七尾は二人三脚で活動してきた人々との、大きな離別を経験していた。筆者はそのことについて詳細を語る立場にないため、七尾自身の述懐(*5)を参照いただきたい。
 七尾の音楽の先鋭性とポップネスが幸福に同居した記念碑的な作品『billion voices』(2010) は、その関係性の結晶のようなものだった。七尾は《16歳で高知の田舎から出てきて、よるべのなかった自分が少しずつ家族や仲間を獲得してきた人生の結実として作られた、幸福な作品だった》と語る。思えば収録曲「1979年、東京」で、彼は<2009年 今も東京/大事な人間がいっぱい出来た>と歌い、周囲との意思疎通が上手にできず不登校になった少年時代から《人間になりたくて、どうしてもなれないという気持ちで生きてきた》来し方を思って自ら目を丸くするように、感嘆の口笛を吹いていた。
 だが、東日本大震災とそれによって顕在化したこの日本という船の傾きを目の当たりにして、七尾は耳障りのいいヒューマニズムでその傾きの本質を覆い隠そうとする世の風潮に嫌気が差していった。三陸や福島に通い、その関わりの中で『リトルメロディ』(2012)を発表し、今なお大きなインパクトを残す実験的なライブの数々(*6)も行いながら、私たちの乗ってきた近代日本という船が本当はなんだったのかを問う日々。その中で親しいものたちとの不協和音は大きくなり、そして別れが訪れる。筆者が七尾と行動をともにし始めたのはちょうどこの時期だが、事情を詳しく知らないうちから、しばしば七尾の抱えるどうしようもない寂しさを感じる瞬間はあった。

 そして、それが2015年11月19日に「やがて生まれる、数十年ぶりの戦死者」に扮して「特殊ワンマン」と銘打ち行った三時間の壮絶なライブパフォーマンス及び、それを収録した映像作品『兵士A』(河合宏樹監督。映像リリースは2016年)へと流れ込んだ。本公演は当時の安倍晋三内閣が憲法の“民主的な手続きに則った改正”ではなく“現行のままでの解釈変更”という禁じ手を用いて——つまり民主国家を名乗るこの国において「守られるべき最低限のもの」を蔑ろにして自衛隊の集団的自衛権を認めた平和安全法制(安保法制)議論の中で生まれた「兵士Aくんの歌」をひとつのきっかけに生まれた。軍服を着て一人目の戦死者・Aくんに扮した七尾が、この社会が近現代における“復興”や“繁栄”の影で振り落とし忘却してきた幾多の生と死、願いや喪失を多様なナラティブを語り分けながら一人芝居のように一つひとつ顕現させていく、七尾の即興音楽家・舞台芸術家的な試行の到達点とも言える名演である。だが、同時に筆者には、あり得たかもしれなかった平穏や安息を振り落としてきた自分自身の生への思いのすべてをボロボロになりながらのパフォーマンスに託した、声なき慟哭に聞こえもした。

 彼はこの公演でドラム缶を鉄パイプで殴打した拍子に右腕を痛め、さらに明くる2016年の正月に階段から転落して右手首を骨折したことで、ギターすら弾けなくなってしまう。その状態でできることを模索しようと選んだのが、「左手でギターを弾く」という試みだった。その中で生まれた楽曲が『LEFT HAND DIARIES』(*7)という配信限定の三部作に収められている。音楽を奏でる自由を失い、まったく新しい経験の中に放り込まれた混乱とよるべなさのドキュメンテーションのようなVol.1、心身の状況が少し落ちつき楽曲がフィクショナルな彩りを取り戻し始めたVol.2、そして『Stray Dogs』にも収録された「DAVID BOWIE ON THE MOON」を含むVol.3と、混沌からの帰還を少しずつ見せてゆく。
 そのVol.2の最後に、「タイムマシーンで君と」という曲がある。<帰り道を忘れたあの子>に向けて<忘れないでベイビー どこから来たのかを/もし君が二度と そこへ帰れなくても>と歌うこの曲に、筆者は思いがけず深く心を動かされた。七尾旅人という人のコアが、あまりにむき出しに歌われているような気がしたからだ。彼の中にずっと流れていた「帰れなさ」、生まれた場所への、優しい時間への、傷ひとつなかった時代への「帰れなさ」が。思えば彼は、その最初期の名曲「八月」の頃から<もう一度まわれば君の街 帰れるかもしれない>と歌っていた。
 海鳴りの街で缶蹴りをしていたフェリーの嫌いな少年が故地を遠く離れ、すべてを覚えているのにそこに戻れはしないことの寂しさだけを真実としながら、長い時間の中で意図せざる流れに運ばれてきたその心がこの楽曲の中に、まるで川が河口から海へと至るように流れ出しているような気がした。この流れの先に、どんな歌が生まれるのか。そう思いはしたが、『兵士A』に対する世間の反応の鈍さへの失望、そしてその後にやってくる再びの喪失は、その時点では流れの先を見ることを許さなかった。

 2017年、暑い夏の日。七尾が出演したライブイベントのバックステージでその一報を聞いたときのことは、今でも鮮明に覚えている。出来事を冷静に受け入れようと努めながら、明らかに混乱し、深い悲しみに覆われたまなざし。煙草の灰を落とす手が震えていたように思う。
 その混乱の中で出会い迎えた新しい家族である犬たちの存在によって、ギリギリのところで踏みとどまりながら『Stray Dogs』は作られた。下界で待つもののもとへ降り立とうとしながらそれが叶わない天使に懸命に呼びかける「Leaving Heaven」、もはや待ち焦がれる誰かを運んでくることも、そして自分をその人のもとへ連れて行くこともない深夜の電車に魂を乗せる「スロウ・スロウ・トレイン」、もういないものの声とともにあてどもなく世界の果てを歩くような「崖の家」、そうした思いのすべてを届けようと天上へ必死に手を伸ばす「天まで飛ばそ」など、どれをとっても喪失と間近に相対する七尾自身がこの場所を離れ、いずこかへと魂ごと飛んでいってしまいそうな、悲しいほどに美しい曲群。最終曲「いつか」の最後の一音の余韻があまりに美しく、天に昇る煙のように減衰して消えていったことに慄然としていると、少しの無音のあとに「ワン!」と小さく響く犬の鳴き声によって、意識はかろうじて現実の生に帰還する。

 これほどの作品を作ってしまって、リリースに伴うツアーやライブが終わったとき、この人はどうなってしまうのだろう。何かしらの出口が、そこにあるのだろうか。「ストレイドッグの冒険」と題されたツアーが続いた翌2019年の間じゅう、時折会いはしてもそのことを訊ねるのが恐ろしく思われ、ついぞ切り出すことはできなかった。そうこうしているうちにCOVID-19の感染拡大が始まり、時系は本稿冒頭の長い電話に戻る。