2014年01月27日 (月曜日)
「21世紀の音楽と その希望について」

「21世紀の音楽と その希望について」
 
下段の文章は、昨夜twitter上でフォロワーさんから受けた質問に対して答えようとしたものですが、思ったよりだいぶ長くなってしまい...いつのまにか力も入り、レコーディングの時間削って書いたのに少しもったいないなーとも思ったので、ブログに掲載しておくことにしました。ごく個人的な意見ですが。制作中に音楽のことを書いたりするのは良くないなと思いました。止まらなくなるから。
 
こちらの佐久間正英さんに関連した記事が、やりとりの発端となりました。
 
☆佐久間正英から若い音楽家への遺言「音楽で大金を稼ぐ時代は終わった」
http://blog.livedoor.jp/ongaku2ch/archives/35904681.html
 
☆全文
http://www.barks.jp/news/?id=1000095931
 
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kikkawaさんへ
 
 
twitterでは文字数が少なすぎて難しいので、こちらでお返事かかせて頂きますね。
 
正直に本心を言えば、佐久間さんの記事が目に入った瞬間は、僕も少し、無責任なものを感じました。あれだけヒットを連発された方が「若者たちよ 音楽で大金を稼ぐ時代は終わった」では、これから出て来る若い子たちが夢を持てないですよね。才能のある子たちが音楽界じゃないとこへ行っちゃうかもね。まあどれだけ商売にならなくなっても音楽に魅入られた人間は這いつくばってでも絶対に作り続けるけどね。でもバイトとか到底不可能な社会性ゼロの破滅型天才もいれば、天涯孤独で逃げ場が全く無い人もいるので、稼ごうと思えばちゃんと稼げる可能性もある世界にしときたいというかさ。それに、何一つ持ってなかった人間が、音楽でビッグになるっていうのは、単純に、男の子的に言って、かっこいいじゃないですか。
(ちょっと似た話だけど写真家の大橋仁さんも、恩師であるアラーキーさんに言われたそうです。「写真は終わった。もうこんなことやってても無駄だよ仁」って笑。仁さんは「自分の幕引きとともに写真まで終わらせようとしてるんだ〜」つって憤慨してたけど...微笑ましい話) 
 
ただ、そのあと、全文掲載されてるサイトをみつけて読んでみたら、佐久間さんの真意が解りましたし、佐久間さんは晩年になっても独自の配信など、新しいアプローチに果敢に取り組み続けた方です。(人づてに聞いた話ですが、僕の主催する配信システム「DIY STARS」とのコラボも検討して下さっていたようです)これからの音楽界のためのトライアルを、死の間際になっても、決してやめようとはしなかった人なんですね。
 
kikkawaさんは「ガラパゴス」と批判的に形容されますが、日本の風土のなかで受け入れられ易い、日本独自の商業ロックを成立させた貢献者とも言えますよね。単に商業的なだけではなく、エレカシみたいな良いバンドをヒットさせたり、僕の大好きな早川義夫さんの活動も、逝去されるぎりぎりまで支えられてましたし、四人囃子の時代から、彼は自他ともに認める根っからの音楽好きですよね。音楽を愛し、音楽に愛された男ですよね。だからもし仮に、今回のようなことではなくて、ただ酷いだけのことをおっしゃられたとしても、けっして憎めないです。すごく詳しく存じ上げてるわけではないですが、心から尊敬していますよ。
 
「ガラパゴス」の定義と是非については、きっと個別の議論が必要ですね。4枚のアルバム制作に追われている僕と、kikkawaさんの間でというよりも、もっと多くの人がいちど考えてみれば有益かもしれないですよね。「ガラパゴス」って形容は、音楽よりもむしろ国内の別分野でしきりに使われてますもんね。携帯電話とか。僕の考えでは「ガラパゴス」という何の罪もない遠くの小さな島をメタファーに使ってまで否定的に言うよりも、「日本的な立ち方の音楽」ということで、肯定的に捉えたいですけどね。
 
これまで僕はシンガーソングライターとしての創作以外に、国内外の最高レベルの奏者と即興演奏を続けて来ましたが、その経験からひとつはっきり言えるのは、日本の奏者の水準と独自性は、極めて高いということです。まったくひけを取らないどころか、欧米からは決して出て来得ない不思議なサウンドを生み出し続けています。これは自分自身のNY公演でも感じました。1本やるごとに絶賛され、終演後オーガナイザーやミュージシャンに誘われる形で、また1本ずつ公演が増えていった。いまのNYアンダーグラウンドを代表する若手やNY即興シーンの重鎮とも交わり、みな最高に愛すべき人たちで、とても楽しい経験でしたが、そのときふと思ったのは、日本の先輩や、仲間たちの凄さでした。正直言って、もうkikkawaさんが名前を挙げた中西さんや佐久間さんの世代のように、「欧米に憧れ、必死で模倣し、翻案する」という時代では無いな、とは感じました。だっていま欧米に、全員でそっちを向いて、研究し、ぜひとも真似をしなくてはならないような、驚異的なバンドや、音楽的な新しい価値観がありますか? 不遜な言い方に聞こえてしまうと嫌なのですが、ぼくはひとつも知りません。大阪や横浜のアンダーグラウンドの方が面白いのじゃないかと思います。
 
日本の音楽のレベルは、確実に上がっていて、模倣を超えた、独自性を手に入れつつある。それがなぜかというと、「ガラパゴス」というネガティヴな響きで包むより、やはり言い換えたいのですが、「日本にだけ存在した条件のなかで、日本的な成熟をして来たから」だと思います。戦前のジャズあるいは60年代のロック輸入から90年代の渋谷系に至るくらいまでは、とにかく欧米の模倣と引用がメインだった。もちろん、そうじゃない方も居ましたけどね。三上寛さんとか。でも基本線としては、模倣と引用と翻案による、学習段階で、そうすることによって、日本のポピュラー音楽の基礎体力は上がっていった。20世紀の欧米で、現在ではあまり見られなくなったような、大きな音楽的トレンドが周期的に生まれる。それを日本のレコード会社や音楽メディアが紹介し、日本国内でも売り出して、普遍化して行く。そこに日本の音楽家たちもそれぞれの角度で乗っかる、という流れがありました。
 
でも、21世紀、特に911〜イラク戦争を境にだと思いますが、争いや国内の経済問題で疲弊したアメリカの弱体化であったり、インターネットの一般化ということが同時に起こりました。そこからの流れで、現在があります。いま、個人的には、欧米の無理矢理感ただよう小規模なトレンドを追いかけるよりは、ネットで、アフリカや中東やアジアの若手を聴いている方が、遥かに面白いです。あるいは色んな国の素人さんの歌声を聴くこと。「大衆音楽」というものが、今まさに大衆の手のひらのなかに回帰しつつあることを感じ取れて、最高に楽しいです。こうして世界中の古今東西さまざまな音楽にアクセス出来るし、その全てではないですが、日本から購入出来るものは非常に多い。日本人はそういうかなり恵まれた音楽環境を生きているわけなんですね。2008年かな? remix誌で受けた取材で詳しく語った記憶がありますが、僕は欧米の音楽よりも、主にそういうものを追っかけていました。(もちろん欧米の音楽も聴いてましたよ。古めのものは生活のなかでよく聴いてるし、新しいものでも、HIPHOPとか? でも昔より頻度が減りましたね。やっぱり他の国のHIPHOPを聴いている頻度が高いです。カンボジアとか。)
 
そこにある音楽は「ガラパゴス」という言葉で矮小化するにはあまりにもったいない、豊穣さをたたえた音楽ですが、確かに、世界的な(というか欧米での)商業的な成功を収めているものは少ないですね。まずは言語の問題もありますが、もし欧米で売れたいのであれば言語の熟練度以上に「欧米の生活者のリアリティ」を自分のものとして抱えていることも大事でしょうから、その辺がひとつ障壁になっていると思います。そこをクリアしているミュージシャンが、youtubeなどで世界的な話題になっても、そのままDIYで独自の回路を作り上げるというより、既存のメジャーレーベルに吸収されていくというパターンが、現状では、多いかもしれませんね。けっして、それも悪いことではないですが、これから、他にも、さまざまな新しい音楽家のあり方が現れて来るでしょうね。本当はこれも、もっと長く書きたいですが、ちょっと時間が無いです。
 
そういえば日本のバンドで言うと、洋楽チックで日本的アイデンティティーは低めで個性の希薄なインディロックバンドとかの方が、欧米のローカルなチャートでヒットしたりっていうケースは多いですよね。向こうの文体を全身で再現した中に、外国人であるというほんの少々のエキゾチシズムが加味されて、受容されやすいのだと思います。 逆に本当の個性を持った天才的なバンドでソウルフラワーユニオンとかありますが、はたしてアメリカでバカ売れしますかね? もしそうなったら最高に痛快ですけど、才能とアイデンティティーの濃さが邪魔をして、欧米じゃ伝わりにくいっていうケースもあるのじゃないかというお話なんですが。(僕自身はそういうバンドこそ真に"世界的"なバンドだと感じますけど)
 
いま若い子の音楽的なスキルはどんどん上がって歌やラップとかも凄く上手に、英語的な雰囲気になってますし、ネットも昔より良い感じに活用してる。トラックメーカーの方も、英語圏のラッパーを招いたりして向こうのマーケットを視野に入れたアルバムが増えている印象です。日本から、世界的なヒットを出す人が、ごく近いうちに現れると思います。それもすごく楽しみなのですが、もう一本の道として、「グローバル化する前の声帯」と言うか、日本人の身体からしか出て来ようが無い、極めて日本的な形をした新しい音楽が、日本的なまま、欧米に流入して行く様も、いつか見てみたいですけどね。例えば島根県とかに日本人としか言いようがない個性的な歌を歌うガキが現れて、島根在住のままネット配信して世界中で売れまくったりしたら超面白いですよね。地元でおばあちゃんの面倒を見ながら1000万ダウンロードとかさ。もしDIY STARSのような感じで彼自身のシステムを使って売った場合200円でも約20億。2000円の作品なら収益は200億になります。その金でまったく新しい発想の文化的プロジェクトを立ち上げて島根と近隣国を繋いだりとか、おばあちゃんをサイボーグに改造してオリンピック出られるくらいまで回復させたりとか、うまい棒を20億本買って地球人類の約三分の一にプレゼントしたりとかね。そしたら20億人が彼を認識しますから、ビートルズに匹敵する知名度と言えます笑。でも、そんな馬鹿みたいに売れる必要も無いんです。音楽だけで十分やっていけてるよって存在だったり、独自の経済圏、文化圏みたいなものがもっともっと増えていけば。
 
そういうことが日本だけじゃなくて、これまではポップカルチャーの中心に居なかった、さまざまな国で、辺境で、多発的に起ったら? 音楽が政治経済など世界的な大きな力の潮流を超えて、波間から個別の顔を現す瞬間です。きっと愛らしい顔が見られると思います。いよいよ、音楽で、歌で喋る星に、近づきますよね。もしかしたら、それが僕の夢かもしれません。こんな時代ではありますが、夢だけは子供じみてたくさんある人間なので、これが一番なんだ、とはまだ言えませんが。
 
ついでに僕がやって来たこと「911FANTASIA」「billion voices」特殊な即興イベントである「百人組手」や、異なる生物種が共存するヴォーカリスト集団が声だけで物語を描く「VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!」、それから「DIY STARS」「DIY HEARTS」での音楽配信の捉え直し、そしてワークショップで福島の6歳児が作った歌などにしても、ここに書かせて頂いたような認識に基づくもので、今の日本を、1人のインディミュージシャンとして、もがきながら生きるさなかに発想しており、そのほとんどが欧米には類型の無いものだと思いますが、個別にお話しする時間が無いので、この辺で録音作業に戻ります。
 
ここまで書いて来て、ひとつ言えるのは、僕にとって音楽の希望はまったく消えていないし、自分がデビューした90年代末よりも遥かに、わくわくしているということでしょうか。日本の音楽が本当の意味で立って行くのはこれからだと感じるし、今後出て来る若い子たちのことを思うと、1音楽ファンとして、うきうきしてしまうんです。
 
身近なミュージシャン仲間の不遇さを見れば、1日中、ほんとうに焦るし、いらつきますよ。20年前だったらたくさん脚光をあびて自由に作りまくっていたはずの人間が、ギリギリの場所に追いやられている。
 
でも厳しい時代ではありますが、厳しい時代だからこそ、音楽が、こんなにも、本当の姿をさらしてくれるのですね。音楽を、その根源から、問い直すことが出来るのですね。音楽本来の強さと深さが、これまでよりもさらに立ち現れて来る可能性を秘めた、新しい時代を、僕たちは生きているのだと、そんなふうに感じています。
 
自分はとても微力ですが、ガキの頃から音楽にものすごく助けてもらったので、その10%でも、なんとか恩返ししたいです。
 
ではではマイクの前に戻ります。
 
七尾旅人
 
 
 
追記:
ここではポジティヴなことを中心に書きましたが、いま最も足りないのは媒介者です。年長の方が「もう面白い若いやつがいない」ってぼやいてるシーンをよく見かけるのですが、とんでもない話で、面白い若い子めちゃくちゃたくさん居て、過去最高に多いくらいなのですが、要は日のあたるところに出て来れてないだけなんですね。今は、欧米の引用を上手にしたからといって、すぐ雑誌の表紙になって、寵児となって、それが確実に売り上げにも結びつくような、幸福な時代では無くなっている。それが、トレンドからの引用中心ではない、輸入して来た言葉では批評し得ないような音楽ばかりであれば、尚更です。あえて乱暴に言っちゃいますけど、独自性の高い、面白い人ほど埋もれてますよ。これを打破しようとしてアーティストたちはもがいてますけど、やっぱりいちばん求めているのは、作り手と世間を繋ぐスタッフさん、新しき音楽人、エージェントですね。マネジメントやプロモートや海外向けのトランスレートなど、それから欧米主導の20世紀型ポップシステムといった中心軸がことごとく失われ、一気に外部が開き、果てしなく広大に複雑になった地球文化状況をカバーする批評によって幾つもの新鮮な地図を描ける方など、今ももちろん奮闘して下さっている方がたくさんいますが、そうした才能を持った人が新しい世代から新しいアイデアを携えてまた現れてくるたびに、21世紀の音楽が、その本領を発揮し始めると思います。