2013年12月28日 (土曜日)
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今年は 子供の頃から変えたかった自分のどうしようもなさが
どれほどのたうちまわっても根本的にはかわっておらず
生きて行く価値がないとよくわかった
昔の武士のように潔くとはいかず
どうしても作らなくてはならない作品が
アルバムもライブも配信でも まだまだあって
そういう未練にひっぱられて ずっと続けている
続けていると毎日また増えるから ますます 困った事になる
重要と思う事にのめり込めば どんどん 真ん中から乖離し隔絶して
仲間や大事なものから乖離して 離れて どんどん遠ざかって
どれほど踏ん張っても ひたすら遠ざかって いくことになる
なんとか生き方を変えたかったが どうにもならない
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アニーという素晴らしい音楽劇がある
戦争に雪崩込んで行く直前 大恐慌下のNYの孤児院
僕は主役ではない孤児 ジューンを見ていた
目立たないけど誰より優しい光をまとっていて
彼女のような人間が主役の歌を聴きたくて そのことは今後もずっと変わらない
どれほど自分が変わったつもりになっても 歌は変わらないのかもしれない
ジューンから遠く離れて作ったこの アルバム5枚分はあるだろうか
歌を並べて聴いていると そう思った
これを来年どうまとめられるかわからない 作り切れないかもしれないけど
もし完成したら ここには世界中の片隅の
ジューンのような ちいさなひかりが 封じ込められるのではないかと思う
高知でみたひかり 東京でみたひかり
東北で 沖縄で カンボジアでみたひかり
ポチや動物たちがくれた ささやかなひかり
アルバム「きみはひかり ぼくのひかり」
完成させるまでは なんとか と思う
2013年12月23日 (月曜日)
次のアルバムについて tweetしようと思ったけど長いのでひとつにまとめました
P-VINEスタッフ それから離れてしまったけど前マネージャーの杉山直哉くんには心底感謝していて billion voices以降の作風は 彼らを念頭に置いたうえで自分を出せるか?という試行錯誤だった
恩義あるスタッフや 身の回りの守るべき人間の人生も良い感じに出来る可能性を持った作品で そして自分自身もいちばんやりたいことであること そんな前提条件に基づいて僕は音盤の形を発想するようになった
音楽不況の中でいちばん苦しんでいるのはミュージシャンではなく レコード屋さんやレーベルであったりとかそのまわりで支えて来た人で(演者は力さえあれば路上で鳴らすだけでもやっていける レコード産業のごく浅い歴史より遥か昔から そんなふうにして芸人は存在し続けている)
懸命に支えようとしてくれた人達を前にして ようやく自分は1stから3枚組の911FANTASIAまで続いた強過ぎるエゴを越えた場所で作れるようになり
その結果 お客さんにも伝わりやすい作風となって行ったのか 前作はインディとしてはそこそこ売れた 無茶なイベントを繰り返し 動物や 化け物じみた表現者たちと即興しながら下手なメジャーより売れてる それは良きスタッフに恵まれたおかげと思ってる
今のスタッフはなにひとつ口出しして来ない「やりたいように作って下さい」と言ってくれると同時に 生まれつきヘイトの塊である僕には向いてないのでは?と思えるような華やかな場での仕事や CM仕事なども 取って来ようと尽力してくれている 僕の音楽を マイナーな場にとどめておくのをもったいないと考えてくれているのだ
自分はデビュー時から別人になったわけではなく 悲しいほど同じ 屑のままだが 注いでもらった愛情が 選曲や編曲のアプローチを変えて行ったし 自分の創造上のポリシーを多少越えたところでも 何かしらの仕事をできる程度の 広めのキャパシティを身につけたいと思っている
なので次に出すアルバムが デビューから15年の流れの中で 特に重要なものであることも理解しています
だけど次作は2枚組アルバムにしないと生命活動を続けて行く事が無理だと判明したので そうします すみません
曲は出揃っていますが まだ1音も録っていないのでリリースまで1年近くかかるでしょう
タイトルは変わるかもしれませんが 変更がなければ
「きみはひかり ぼくのひかり」
音で出来た遺書です これまで愛してきたものに捧げます