2020年04月04日 (土曜日)
新曲『今夜、世界中のべニューで(Who's singing)』





新しい歌をアップしました。
タイトルは決めかねていて、現状「今夜、世界中のべニューで」と「Who's singing」を併記しています。
ベニュー(venue)というのは開催地のことですが、この曲では、ライブハウスを指しています。
再び世界中の街角で何の警戒もなく音楽が楽しまれる日、それは僕たちがまた以前のように気楽に挨拶したり互いに抱きしめあったり出来る日です。
苦しみの只中にある方にも希望がひらけますように。


最近ずっと咳喘息で、気管支が腫れ、歌声はへろへろですが、ご容赦ください。
今の健康状態でコロナウィルスに感染するのはマズイなーと思いつつも、自宅で楽器を抱えて声を出すと、やはり力が湧いてきます。

本当は今頃、公演のため、郷里である高知県にいる予定でした。
気合を入れて準備していた全ての仕事が飛んでしまってから、音楽は自分の人生そのものだと、ますます実感しています。

いま世界中のさまざまな立場の方がコロナ禍に揺さぶられていますが、
音楽の世界に関して言えば、ライブハウスや、熟練のスタッフさんたち、そして、優れたプレイヤーたちが、先行きの見えない苦境の只中にいます。
このままの状況が続けば多くのイベントスペースが廃業に追い込まれ、深刻な文化的断絶が生まれ、街の風景は一変してしまうでしょう。
この状況を打破するために、いろいろな素晴らしい試みも始まっていて、励まされたり、自分の無力さに嫌気がさしたり、暗中模索の日々です。

この歌を作ってから十日あまり、公開は迷いましたが、ある人が「良い曲だなー」と言ってくれたので、背中を押されました。
ピアノは出来れば友人に頼みたかったですが、喘息で歌ったラフなデモ音源で弾かせるのが申し訳なかったので、自分で無理やり弾きました。下手ですみません。
いちばん最後の歌詞「ベランダで誰か歌った」でこの曲はピタッと終わる予定でしたが、その後もなんとなくアドリブで歌が出てきたので、そのまま残しました。誰かのふとした鼻歌のような感覚で。
 
友人やお客さんに会いたくて仕方がないです。
明日高知で開催予定だった柴田元幸さんとのセッションの後、90歳を過ぎた祖母に会うつもりでしたが、そうもいかなくなってしまった。

COVID-19が世界にもたらしたもの、互いへの疑心暗鬼や、排撃、断絶。
そんなものにやられないために、
いつでも誰かの小さな呼吸や、鼻歌を想像していたいと思います。

とにかく健康にはくれぐれも気をつけて、互いに支え合って、この状況を乗り越え、またライブハウスでお会いしましょう。
その時には、もう少しマシな声で歌いますし、ピアノは、プロの人に弾いてもらいます。^^


______________
〈歌詞〉

今夜、世界中のべニューで(Who's singing)


今夜、世界中のベニューで 音楽が鳴り止んで
それぞれのメロディは 行くあてもなく散らばった
世界中のベニューで 音楽が鳴り止んで
静けさに 耐えかねて ベランダで誰か 歌った

ラララ

今夜、世界中のベニューで 音楽が鳴り止んで
ひとけのない道を帰る パンデミックイヤーの午後9時
世界中のベニューで 音楽が鳴り止んで
ギターケースにしまわれた 誰かの声がこだました

ラララ

いま どうしても抱きしめたいのに すぐそばまで近づけなくて
やりきれぬ夜の長さに ひとりきり誰か 歌った
世界中のベニューで 音楽が始まる日には
この壁も 崩されて 新しいドアに変わると

ラララ (Who is singing now?)

今夜、世界中のベニューで 音楽が鳴り止んで
静けさに 耐えかねて ベランダで誰か 歌った

2020年01月09日 (木曜日)
きみはいるかな (戦地の家族たち)


昨夜、(ガザ、シリアなど)戦地にいる小さな家族を思い浮かべながら、歌を作りました。
 

 
きっかけをくれたのは14歳の友人からのメールです。
米国とイランの衝突に、「何か出来ることはないか?」と思い悩み、ひどく胸を痛めていました。
 
トランプもハメネイも互いに自国での失策を打ち消し、問題の矛先をそらすためのブラフ合戦をしていて、全面衝突には至らないでしょうが、殺されたソレイマニを信奉していた中東各国の民兵たちの憎悪は取るに足りない火種と言えないでしょう。トランプは本当に愚かなことをしました。
 
 
___________________________
〈歌詞〉
 
きみはいるかな
そこにいるかな
あの頃と変わらない微笑みで
 
きみはいるかな
無事でいるかな
あの頃と同じように会えるかな
 
 この争いは誰のため
 この悲しみは何のため
 僕らは何度も転び
 何度も立とうとする
 
ミサイルが落ちて
僕らはあわてて
薄汚れた板戸をこじ開ける
 
何にも見えない
暗闇のなかで
子どもたちの吐息は流れ星
 
 この争いは誰のため
 この悲しみは何のため
 僕らは何度も転び
 何度も立とうとする
 
きみはいるかな
そこにいるかな
あの頃と変わらない微笑みで
 
きみはいるかな
無事でいるかな
あの頃と同じように会えるかな


2018年11月05日 (月曜日)
三浦誠音「路のほとりの音楽」

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アルバム「Stray Dogs」レコーディングの中盤、本格的に作業に没入し始めたあたりから、好きだった読書ができなくなり、映画も集中力が続かなくなった。やがてアルバムは完成し、1ヶ月以上を経たが、今の所まだなかなか、楽しみにしていた作品たちが、頭に入ってこない。
制作中の、精神を海中に繰り返し沈潜させるような緊張感を、まだ引きずってしまっているようだ。
 
もう何作品か僕は、アルバムを作り続けたい気持ちがある。社会的な言葉を忘れてしまって、得体のしれない何かと、手探りの不格好な言語で、対話していたい。だから、リリースのために、あたらしい作品の説明を試みるために、おおやけに通用する言葉を覚え直し、外へと向かわなくてはならないことが、おそろしくもある。
 
だが、最近いつも持ち歩いている小さな一冊の本が、お守りのように、静かに、僕の失語を埋めてくれている。
 
南相馬 朝日座で出会って以来の友人、三浦誠音さんが、完全な手書きで、わずか数部だけ作成した句集、「路のほとりの音楽」だ。
 
日々の仕事や、お父上の介護の合間に書かれた誠音さんの詩や写真にいつも励まされてきたので、ある日彼のタイムラインからすべてのツイート、作品たちが消えてしまった時の喪失感は大きかった。
 
震災後にさらなる拡大をみた社会不安を糧にして、より先鋭化し、単純化された物言いやパフォーマンスが飛び交い、ぶつかりあうなかで、
彼の孤独で温かみに満ちた言葉のひとつひとつが、
記号化し得ない福島を、宮城を、見せてくれた。
人間を見せてくれた。
草木を、花々を見せてくれた。
僕にとってそれは、かけがえのない音楽であり、
けして聴き逃したくはない、ちいさな旋律(little melody)だった。
 
 
「路のほとりの音楽」
この句集は春の光景から始まり、
夏、秋をめぐり、峻厳な冬を越えたあと、
再び春へと回帰していくが、
これは単純に希望や生命の暗喩としての春を意味しない。
あらゆる痛苦をその身に抱え、宙吊りにされたまま、まだ鋭い寒気の残る北国の初春、3.11のあの光景へと、何度でも誠音さんは立ち返りながら、
わずかな芽吹きや、かすかな死も見逃そうとせず、孤立した言葉で世界を掬いあげ続ける。
 
これらの言葉の連なりに助けられ、僕は季節の循環を追体験する。
春は無意味な死に溢れ、
夏と秋に飽くことなく打ち据えられ撹拌されたすえ、
冬に蠢く異形の命とすれ違う。
僕たちはたしかに生きてきたのだ。
自分の中の非社会的な言語が、
もういちど外へ向けて、息を整え、足を踏み出すための、
透明な橋をかけてくれる三浦誠音の言葉。
 
1ページずつ手書きされ、製本され、
極めて限定的な形(何人かだけに、郵送する)で配布されたことにはきっと切実な意味があるだろう。
でもいつか、多くの人の手のひらに渡ってほしい一冊だ。

 
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2018年03月21日 (水曜日)
国府達矢の15年ぶり復活アルバム「ロックブッダ」が今日、発売になった。

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国府達矢の15年ぶり復活アルバム「ロックブッダ」が今日、発売になった。

これに関しては客観的になれない。

彼と出会ったのが18歳。まだほんの子供だった。音楽業界の末端で、ズタボロだった頃、人間味のある彼との出会いは、自分にとって大きなものだった。
やがて、苦境にある姿を見て、手伝いをしなくてはと思ったのが20代の序盤で、その後911fantasiaで彼を取り上げたり、書いたり、百人組手してみたり、配信システム作ったり、国府達矢の不在を強い契機の1つとしながら現行のオルタナティブと接触し、その先の風景について考えていった。そうして僕自身も少しずつ成長していった。

今作のほぼ完成したデモを聴いたのが震災の翌年だったろうか、その時点でレーベルスタッフの理解を得てリリースの全面バックアップを決意したが、彼が心身の健康を取り戻し、もういちど音楽家として世の中に出て行く体勢が整うまで、さらに幾つかのプロセスを潜った。

長かった。でも年月の重みに押し潰されることなく、むしろますます輝きを増している国府達矢の音楽を聴いていると、彼と関わって来てよかったなと思う。

あとはリスナーに委ねるだけ。
誰かの耳を信じ、放つとき。
怖くもあるし、楽しみでもある。


★国府達矢 "薔薇" (Official Audio)
https://youtu.be/JBqe4eWwql0

★ロックブッダ、リリースinfo
http://1fct.net/news/post-7086

2017年12月11日 (月曜日)
展示「Quizzical Christmas」に音楽で参加します。

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12/13から横浜ルミネ内H.P.DECO 好奇心の小部屋にて開催される、
ソーイングアーティスト、ホルガさんの展示
「Quizzical Christmas」に音楽で参加します。
 
今回のテーマに合わせてクリスマスソングなど、何曲か新たに録り下ろしました。
とても気に入ってますが、この会場でしか流れません。
 
手芸好きだけでなく、動物好きな方、ド天然の創造性に触れたい方、おすすめです。
男性が行っても楽しいと思います。
 
型紙を使用せず、一点ごと完全即興の制作スタイルにつき、同じものは一点もありません。日を追うごとに減っていってしまいますので、お早めにぜひ。
 
 
↓こちらは4月の展示のときの記事です。ご一読ください。
http://tavito.net/blog/201704425hpdecoquizzical-elephant.php
 
 
______________________________
★quizzical elephant ウェブサイト
http://www.quizzical-elephant.com/
 
 
★会場:H.P.DECO 好奇心の小部屋
220-0011 神奈川県横浜市西区高島 2-16-1 ルミネ横浜店 2F
TEL: 045-534-8548 / OPEN:平日10:00 - 21:00 / 土・日・祝:10:00 - 20:30(不定休)
https://www.hpfrance.com/Shop/Brand/kobeya.html
 
 

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2017年10月20日 (金曜日)
明後日10/22高知市内で突発的なワンマンライブのおそれ

10/22(日曜日)

七尾旅人ワンマンライブ
「Lunch In The Typhoon」

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イベント概要:
ずっと楽しみにしていた四万十川での「川じゃんロックフェス」10/21土曜は予定通り出演しますが、残念ながら台風の影響で、日曜は出番がなくなりました。そのため以前も演奏させてもらった高知市帯屋町の素敵な店onzoさんと相談し、日曜の昼間に突発的なワンマンライブを行うことに。その名も「Lunch In The Typhoon」^^ お楽しみに。


会場:onzo(高知市帯屋町)

開場14:00 開演14:30(16:30終演予定)

チケット:3500円+1ドリンク

予約方法 : お名前、ご連絡先、人数を下記までお送り下さい。
onzo9999@yahoo.co.jp
当日、エントランスにてチケット料金でご入場頂けます。
-Info-
ONZO
高知県高知市帯屋町2-1-29 4F
090-4781-9003

2017年05月07日 (日曜日)
勝井祐二さんと フェルナンド・カブサッキさんのこと

 
勝井祐二さんと
フェルナンド・カブサッキさんのこと
 
(ライブは5/8 明日です よかったらぜひ)
 
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勝井祐二さんのヴァイオリン・ソロアルバムが聴きたくなって、ずっと探していたのだが、度重なる引っ越しで潜ってしまい、なかなか出てこない。(自分のアルバムも出てこない。まあそれは出てこなくて構わないのだが)
 
after war / before war
 
あれは即興なのか、それとも楽曲だったのか、
たびたびお目にかかる機会があったのに、
まだお聞きしたことはなかった。
楽器ひとつでこんな壮大な空間が生み出せるのかと、
20代の頃、学ばせてもらった作品だ。
 
カブサッキさんにも同様の恩義があり、
(具体的にはこれまで何度も書いたので省くが)
ある時点で僕の意識を確かに変えてくれた方である。
  
年に一度このお二人と相対することは、
その理屈抜きの楽しさはもちろん、
自分の成長を計る意味でも、得難い機会だと捉えている。

 
 

2017年05月02日 (火曜日)

気管支の不調が一ヶ月あまり続いて
思うように歌えずいらだっていたが、
春の訪れとともに症状が緩和し、
それにつれて他の色々のことも、徐々に良い方向へ向かっている気がする。
 
このひと月
カントゥス太田美帆さん、飴屋法水さん
そして河合宏樹くん、齋藤陽道くんとの打ち合わせなど、
精神に活気を与えてくれる特別な時間を幾つか得た。
 
現在、音響担当として参加中のホルガさんの展示が大評判なのは、
とりわけ励みになった。
 
http://tavito.net/blog/201704425hpdecoquizzical-elephant.php
 
始まってまだ1週間目で、この後も会期はしばらく続くが、
展示作品は大幅に売れてしまい、追加の制作に追われているようだ。
(多くの作家と異なり型紙を用いず全てゼロから作るため、そうとうキツイだろうけど、
 この先なにが生まれてくるか本人にもわからないという状況は、スリリングだ)
 
針と糸で縫い続けて17年。
次々に唯一無二の動物たちを生み出すそのイマジネーションは間違いなく世界レベル。
(会場でいろんな国の著名な作家さんの作品を見たけれど、やっぱりホルガは飛び抜けて素晴らしかった)
これまで一部の熱いファンに支えられつつも、才能に見合う評価を受けている感じはあまりしなかったが、
そんなのどこ吹く風で、
誰に媚びることもなくけろっと生きているのが、
この人のいいところだなと思う。
 
今回の展示で新たにquizzical elephant作品の魅力に気づく方が増えるとうれしい。

2017年04月22日 (土曜日)
4/25からH.P.DECO(横浜ルミネ内)にて行われるquizzical elephant(クイジカル・エレファント)の展示でサウンドを担当します。

 
4/25からH.P.DECO(横浜ルミネ内)にて行われるquizzical elephant(クイジカル・エレファント)の展示でサウンドを担当します。
特に頼まれてないんですが、僕の最も尊敬する作り手なので新曲を書き下ろしました。
 
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ハンドメイドブランド「quizzical elephant」を主催するソーイングアーティスト、
ホルガによる布でできた動物の数々、生命感に満ちていて本当に素晴らしいです。
 
ホルガさんの作品は、本来であれば不用品として捨てられるはずの布、ハギレなどを生かして、
再び命を吹き込み、さまざまな動物の形をした作品へと蘇らせていくものです。
 
型をいっさい使用せず、とても即興的で、僕の好きなJAZZやHIP HOPなどもふと思い出すような制作スタイルですが、
出来上がってくる作品には気取りも気負いもなく、なんだかファニーなんだけど、ひらめきに満ちていて、とんでもなくクールでもあるという、
そしてジャンル名では到底包摂できない広さがある。それって本来的な意味で命だなあと。
ホルガがつくりだす動物は、本当に生きている感じがする。
 
あとこの人は天才肌なんですよね。天才肌で、バカ正直で不器用。ひとり黙ってコツコツ努力する。
商売も下手、人付き合いも下手。心を開くのは動物にだけ。これです。最も尊重しなくてはならないタイプの作り手です。
自分はこれまでずいぶん色んなアーティストさんに触れてきましたが、これほど創造的な人はめったに見たことがなく、勉強させてもらってます。
 
お裁縫や、ものづくり全般に興味がある方はこの機会にぜひ。
新しいイマジネーションを受け取れると思います。
(会期は一ヶ月以上ありますが、展示即売なので、早めに観に来ないと作品が無くなってしまいそうです。)
僕の曲も会場で聴いてもらえるようセッティングしておきます。
ときどき様子を見に行くのでばったり会ったら声かけてください。



★quizzical elephant ウェブサイト

http://www.quizzical-elephant.com/



★会場:H.P.DECO 好奇心の小部屋

220-0011 神奈川県横浜市西区高島 2-16-1 ルミネ横浜店 2F

TEL: 045-534-8548 / OPEN:平日10:00 - 21:00 / 土・日・祝:10:00 - 20:30(不定休)
https://www.hpfrance.com/Shop/Brand/kobeya.html

 
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2016年07月09日 (土曜日)
「兵士A」朝日新聞デジタルの記事についての補足

「兵士A」朝日新聞デジタルの記事についての補足
 
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 観念的な「戦争やめよう」にはピンとこない 七尾旅人インタビュー
http://digital.asahi.com/articles/ASJ765TG9J76UCVL01R.html?rm=818
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7月7日の朝日新聞デジタルにて、「兵士A」についての取材をして頂きましたが、新聞メディアゆえ原稿チェックがなく、僕が実際に発言した言葉と文中の言葉に多少の差異があります。今作は微妙な問題を扱った内容で、記事公開と同日に発売日を迎えたばかりでもありますので、下記、最小限だけ補足をさせてください。

取材をしてくださった記者、板垣麻衣子さんへの批判の意図はいっさいありません。年下の明晰で情熱的な記者さんで、新しい感性を持ち、日本の今後や、新聞報道の現状についても、強い問題意識を抱えておられ、僕自身、大いに触発され、励まされもして、たいへん意義深い時間でした。
この板垣さんに対して、全面的に感謝しています。

20年近く音楽に携わって来て気づいたことですが、どんなに経験豊富な優れた方がインタビュワーでも、長尺の対話が要約され記事にまとまる過程で、実際の発言との間に意外と大きな差異が出てきます。そこを少し整えて本来的なニュアンスや心情に近づけるために原稿チェックという最終的な事実確認の機会があるものと理解しています。「原稿チェック不可」という新聞系メディア全体の伝統的なルールには今後も一定の敬意を払いますが、今作に関しては、作品の性質上、すこしだけ補足をさせてください。

執筆くださった板垣麻衣子さんには本当に申し訳ありません。取材からわずか3日間ほどのあいだに心のこもった記事を2本も、仕上げてくださった。対話中には「こんな記者さんがいるのか」という驚き、話し終えた後は、初対面にもかかわらず、懐かしい友人のように見えました。音楽や文芸をこよなく愛する方でした。

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〔補足〕

★90年代終わりに冷戦構造が崩れて
※80年代の終わりです。 

★米ソ間の安定していた時代とは全然違う
※米ソ間(西側陣営、東側陣営)の対立の拮抗により、ある意味では安定していた時代
(実際はこの時代の軍事的緊張度はきわめて高かったですし、じっさい多くの人々の血が流されました)

★自慢だったロンゲを丸刈りにして、自衛官の服を着て演じました。
そのほうがみんな目を向けてくれるんじゃないかと思って。
※自慢だったロンゲ、の部分は、明るい雰囲気だったこの日の取材現場で、すこし冗談めかして語った部分が採用されたものと思われます。(もともとロンゲといえるほど長髪ではないので) 兵士A公演をやるにあたって、自衛官の相貌により近づけるため、そして覚悟を固めるために断髪したのであって、注目を集めるためにしたのではありません。おそらく僕の語り方が曖昧であったために生じた齟齬と思われますので以後気をつけます。

★虚構の舞台の上で信じてきた、かりそめの「平和」です。そこを突くような作品をつくりたかったんです。
※と要約していただいてますが、そこを突くだけでなく、その疑念を顕在化させて、本当の平和について思考し始める契機のひとつとなるような作品を作ってみたかったということです。

★日本の戦後の思想史は、「右派」と「左派」が敵対しながらもある種もたれあう共犯関係にありました。ここ10年、そのイデオロギー対立を追い越すスピードで現実が動いています。
※(これは補足ではありません)まったくその通りです。混迷を極める2010年代ですが、こうした認識を持つ若い世代の記者さんが現れていることに希望を感じました。この共犯関係がどこか上滑りした空虚な議論ばかりの状況を生み出してきたと思います。たとえば、安保体制が消失して米軍が日本国内から撤退した場合、国際政治的にも経済的にも思想的にも極めて巨大な変動が生じますが、その場合、日本がどのような形で生存し得るか、など、政治やアカデミズムやジャーナリズムの領域の方々に複数のシミュレートを示して頂きたいことはたくさんありますが、こうした情報はめったに得られません。僅かな例外を除いてほとんどの方々が、沖縄などに負担を負わせながら米国の保護下に在り続けることを暗黙の前提としてきたからでは? 現在の私たちが、そして近未来の日本人が、どのように生存し、どのような精神で生きるか。極めて重要な問題です。

★自衛隊という最小限の犠牲で、今までの日米安保体制を維持できますよ、という話。これまでの自民党政権を踏襲しているだけです。安倍さんをファシスト呼ばわりして、引きずりおろしても何も変わらない。
※戦後70年にわたるアメリカと日本の官僚および政権による出来レースの繰り返しの踏襲です。安倍氏をファシスト、ヒトラーなどと呼ぶのを時おり目にしますが、それは一種の過大評価だと思っています。彼は、米国から、時勢に合わせてコントロールしやすい小さな手駒と目されているだけです。念のため付け加えれば、僕個人としては安倍政権も彼らの憲法改正草案もまったく受け入れられません。米国追従による大儀なき派兵に従事する一定数の自衛官という最小限の犠牲を供物にして、おおむねこれまでと似た安寧な生活を維持できると考える日本人全体の無意識があるとすれば、それもいっさい受け入れられません。

★今の時代の戦争のリアリティーを多面的に盛り込みたいというのはありました。スーダンの少年兵も出てきますが~
※「少年兵ギラン」ではコンゴの少年兵を描きました。

★民間軍事会社にアウトソーシングして、無人攻撃機でテレビゲームのように人を殺している。
※民間軍事会社や、ウォーボット(無人攻撃機など)、あるいは子ども兵、グローバルテロリズム。21世紀の戦場における新しい要素であるこれらについて個別にお話しましたが、この文ではそれが一体化していました。文字数制限の中で、なるべく僕の発言を採用しようとして、そうしてくださったのだと思います。実際のところ、現在の民間軍事会社が請け負う業務は後方支援やインテリジェンス、兵器メンテナンス、軍事訓練などがメインであり、無人攻撃機での爆撃を担ってはいないです。

★でも、ぼくは政治を音楽に取り込んでいる意識は一度もありません。これをどうしても書こう、という曲を集めていったらこうなるだけなんです。
※ふりかえってみれば「政治決定からは取りこぼされてゆくもの、隠されてゆくもの、排除されてゆくもの」を歌ってきた気がします。

★だから、原発で不始末があると「誰が責任者だったんだ」と一斉に攻撃する。
※あれだけの事態が生じたのだから、市民による批判や意思表明はあってしかるべきだと思います。ただ、さまざまな分野の作り手たちが生み出した作品の多くまで素朴な批判や風刺に終始したことには強い焦燥をおぼえ、震災後の、いろいろな試みにつながっていきました。原発事故直後の原発立地町村の方の相貌をとらえた「圏内の歌」や、そうした一家族の歩みから日本の戦後史のある側面を記述した「ぼくらのひかり」など。

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以上です。板垣さんには大変失礼しました。
自分自身がまだまだ「兵士A」という作品のややこしさに戸惑っている状態です。それゆえ説明は容易でなく、錯綜して話さざるを得ない部分があり、記事にまとめるのは大変だったと思います。初期段階の取材として板垣さんのような真摯なインタビュワーと遭遇し、考える契機を得たことは、幸運だったと思っています。