2014年04月15日 (火曜日)
飴屋法水さん「ブルーシート」岸田戯曲賞授賞式にて

昨夜は不思議な時間でした 

飴屋法水さんは百人組手でお世話になって以来 (http://www.diystars.net/hearts/P00219.html
受賞作となった福島いわきでの「ブルーシート」はもちろん
九州や新潟など遠方でも可能な限り観に行ってます 

でも岸田賞授賞式に関して奥さんからお誘い頂いた時
「賞を世界中から幾つかき集めても飴屋さんの素敵さに釣り合わないなぁ」
などと生意気なことを考えてしまい
遠くからお祝いの気持ちだけを念じて送ることにしたのです 

これまで授賞式というものに行ったことがなかったので単なる思い込みですが
きっと業界筋の人たちのサロン的な雰囲気に満ちている気がして
自分なんてそうとう場違いだし
そこで本当に飴屋さんを静かに祝えるのかなぁと
僕はただ家で これまで飴屋さんにもらった感動に対して感謝している事にしようと思っていたのです
でも色々あって 行ってみて正解でした

誰より居心地悪そうというか
違和の塊みたいになってるのは
やっぱり飴屋さんで...

その結果 飴屋さんの考え方をいつも以上に観ることが出来た時間でした

飴屋さんが演劇界の人なのかどうか 素人の僕にはわかりませんが
本質に切り込み過ぎて
結果的にものすごい普遍へと肉薄している人だと思ってます

なので演劇界の文脈で 戯曲というテキスト部分だけを手がかりにして飴屋さんが評されて行くのはちょっと不思議な感じでしたが
そこに対する飴屋さんのリアクションは面白くて誠実なものでした

授賞式というよりも飴屋さんの新作を観たという気持ちになりました

みんな舞台の外では演出家も役者も普通の人に戻ってしまうのですが
(これはミュージシャンもそういう人がほとんどなのですが)
飴屋さんはいつでも飴屋さんのままで
そういうとこも好きなんです

いつでも奇妙な重力を身にまとっていて
目の前の時空間と間断なく衝突し続けているような感じ
24時間 常在戦場 
つねに世界をあいしている
つねに世界を演出している?
どんなときも
飴屋さんは
異様なまでに
人間なのだなと思いました
そのせいで宇宙人か霊魂みたいに人間ぽくないものにも見えるのですが


この日 僕まで歌うことになるとはまったく思っていませんでしたが
飴屋さんがブルーシートの劇中に入れるつもりだったというサーカスナイト(嬉しい驚き)を
テニスコーツさんにお借りしたギターで
途中で思いついた「ブルーシートの歌」に切り替えながら歌いました

少しくらいは百人組手のときの恩返しが出来たかな...
わかりませんが
なにかまたひとつ言葉にし難い感動を手にして
帰路につきました

 

追記:

この日もうひとり
異様なまでに
人間だな〜と思ったのはPhewさんです

やればやるほどしんどいけど
好きな先輩が気を吐いているうちは
弱音もはけないね〜
俺も がんばろっと

2014年03月26日 (水曜日)
映像作家 Vincent moon とのセッションを終えて

tweetのつもりが長くなったので下記に羅列しました。
読み辛かったらごめんなさい。
 
 
★渋谷の前日のシークレットライブは 映像作家Vincent moon来日上映会@オッパーラへの参加だった 彼は3/11ツーマンしたばかりの友川カズキさんを印象的なドキュメントフィルムにまとめた人という認識しかなかったが 3日前知人に急遽出演を請われwebでいろいろ観てみると

★REMのようなメジャーバンドから世界中の民族音楽までを 抑制的な美と新世代らしい躍動感 機動性の同居したあり方で封じ込められるユニークなアーティストだなと感じ参加を決めた ソロ演奏のつもりだったが僕のサウンドチェック中「セッションしたい!」と言い出したのでそんなシーンも

★そこで紹介された動画は東欧のまだ未紹介とされるトラッドやインドネシアの意外なストリートミュージックなど興味深いものばかりで面白かった  僕の演奏はこれに応じて身体ひとつで世界中の音楽に呼応してみることにした 10年前の打ち込み曲「キマイラ」や前日思いついた新曲「UNCHAIN」などに加え 植民地的状況を加害の側から捉えた「わたしのコロニー」も演った

★その後のセッションはVincentが気ままに再生する映像を音の方で立体化してくという感じで 最高にエキサイティングとは言えなかったが これだけ詩的な映像が撮れたうえでそれを使ってセッションもしたがるっていう人間は珍しいと思うので 色んな音で応えていった

★というわけで花を添えようと頑張ったが それ全てぶちこわしになるほど主催のひとに疲れちゃった... なぜかタメ口だし まともな挨拶も趣旨説明もなく 好意で来たからギャラとかいらないのに交通費なる数千円をむき出しのまま皆の面前で渡して来たのもどうかなーと思った 悪気は無いんだろうけど ごく普通の礼儀がないなら生身の音楽家は呼ばずに映像だけで押し切った方が良い

★舞台監督役のはずだった知人が 仕切りも舞台周りのフォローもせず ずっとベストポジションでイベントをエンジョイするだけの状態になってたのにも 私の顔がアンパンマンになってしまいました(☽ ̍̑⚈͜ ̍̑☾) 事前に音響面や出演人数などセーフティネット張っておいてよかった 

★舞台裏は年に一度あるかないかのユルさでしたが 映像も演奏もかなり充実していたので皆に観せたかったです  今年は制作のため極限までLiveを減らしてますので機会は少ないですが また音楽の場で逢いましょう

2014年03月08日 (土曜日)
ひとつ聴き取るたびに

最初tweetのつもりだったのですが長くなったので下記に羅列しました 読みにくかったらごめんなさい
 
 
★2003年 周囲より遅くネットを始めた僕にとって一番の驚きはネトウヨという存在を見かけた時だった それまで大衆の潜在意識下の差別感情がある程度は隠蔽されていたが露骨に可視化される時代が来たのだなあと思い その後の作品作りに大きく影響した
 
★でも気のせいかもしれないが当時のネトウヨはまだレイシスト然として知識も今よりは豊富だったような...? 最近の反韓はもうただの集団ヒステリーにしか見えない
 
★先日twitterで僕に絡んで来たネトウヨの子も「日韓併合のおかげで近代化できた その前は国としての体をなしてなかった」等というbotと見紛うような定型化された妄言を吐きましたが そんな程度の認識で他者を逆切れ罵倒できる稚拙な精神性って...単に祖国が心配になるだけであります...(憂国)
 
★かつて日本が朝鮮半島でどれほどのことをやったか その結果どれほどの負債と亀裂を朝鮮半島にもたらしたのか少しでも調べたら良いのに それは上から目線で「韓国を理解してあげるため」などではなく「自己を形成して来た日本というものを認識する」ための一歩として必須です
 
★例えばこの本 高崎宗司さん著「植民地朝鮮の日本人」本格的な侵略の前段階として1870年代から多くの民間人が朝鮮半島に渡りました そこでの草の根レベルでの差別と横暴をあぶり出しています 自分たちと同じようなごく普通の一般人が朝鮮半島でどう振る舞ったか知ることが出来ます この根深い差別意識や驕慢な優越の感情が孫やひ孫の代まで密やかに感染しているわけです きっちり向き合って行くしかありません 
 
★「自虐史観」などと言い出すのはまだまだ早いです だって皆 朝鮮半島についても 植民地支配のディティールについても ほとんど何も知らないに等しいのだから... 本当に僕たちの祖父母や さらに上の世代を理解し 誇ろうと思ったら その暗部もみつめていくしかないです  その暗部はびっくりするくらい今の僕たちと似ているのですよ 人間はなかなか変わらないのだなと思います だから凝視して損は無いです
 
★付記すると今ある政治的衝突には両政府の多義的な利害も絡んではいますが それに連関して 在日として生きてきた仲間への圧力がさらに増しているのは最悪です  これも実際に統治前〜統治下の朝鮮半島で何をなしたか 大文字の歴史でしか把握していないことが根因にあると思われます
 
★記号化された政治問題や その集積としての教科書や 反韓本よりも けして記号化し得ない個々の人間をみつめたい そうすることで初めて人間が根本的に抱える喜びと悲しみに感応することができ 音楽が発してくる場所にもアクセスすることができると自分は考えます 
 
★歴史に相対することは あまりに微かで聴き取り辛い歌へ 必死で耳を澄ませることに似ています それは大切なひとの押し殺した痛みをなんとか聴き取ろうとすることにも似ているかもしれません いつも上手くいくとは限りません トライ&エラーの連続です そしてひとつ聴き取るたびに 重荷を背負うことになるでしょう 
 
★でもそうして耳を澄ませ続けるうちに もし理解を深め 通い合える瞬間が来たら それ以上に嬉しい日は無いと思います

2014年02月20日 (木曜日)
開沼博 / 漂白される社会

開沼博さん「漂白される社会」、読了。
 
以前ついこのようなtweetをしてしまったが(http://bit.ly/1chrAA1)、
こんな自分にとって5歳下の開沼さんは、誰の御用もしていない希有な学者に見え、
彼の故郷である福島についての論考に初めて接したときから「異質だな」「何か共感が湧くな」と思い、気になる存在だった。
 
売春島、ホームレスギャル、貧困ビジネスなど
「あってはならぬもの」として世の中から隔離、不可視化されて行くものを取り上げた本書のコンセプトは、
これまでの彼と一見乖離したように見え、未読の方に驚きをもたらすだろうが、
拝読する前から「あっ次のステップに行かれたのだな」という確信があった。
この新刊の中では福島関連の著作を通して語ろうとした事が、これ以上ないほど誠実に発展、普遍化されている。
 
僕の興味の中心である「21世紀音楽」というものに対しても強く共鳴しつつ批評として機能する部分があり、お会いした事は無いが、同じ時代を併走する仲間という感じがして、心強く思う。
 
開沼さんの作品の、愚直とも言える生真面目さ、切実さが好きだ。
そしてまるで全霊の即興演奏のように
予め用意された答えやとってつけたようなクリシェに頼る事無く
創造性に満ちたプロセスが全面を響かせ、波立たせ、
薄やみのなかで目の前の対象に肉薄し、なんとか未来を掴もうとする、
そのあがきを見ているのが、好きだ。
 
無知な自分は、
「日本の思想て、ヒマを持て余した人のための、消費材のようなものなのかな? 
 もう人間や社会について真剣に掘り下げる事はしないのかな?」
と誤解し始めてしまい、なんとも言えない閉塞感を感じていたが、
21世紀の日本という空間に、
開沼さんのような存在が現れて来ている事に勇気を頂いている。
 
 
P.S.
編集部の方からこの御本を送って頂いてからなんと1年近くが経過してしまい...大変失礼な事をしてしまいましたが...ずっと読むのを楽しみにしつつも、個人的な迷妄の中であがき続けて居た1年間でした。最近、アルバムRECのためにようやく休みを取って引っ越ししたり、自宅に居るようになって、紀貫之とか、西鶴とか、石川明人さん「戦争は人間的な営みである」とか、PWシンガーさんの「子ども兵の戦争」を読み、腰を据えて向き合えるのは今だ!と思ってついに手を付けた「漂白される社会」、このタイミングで読めて良かったと思っています。お詫びしつつ感謝。

2014年02月14日 (金曜日)
夜回り先生シリーズ第2弾「若者と通じ合うとき」



ニューシングルのMVが公表された!


TELE◯POTION


 
 
すごく嬉しい日だったのだが、
こんな感じの人を発見した。

 
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ちょっといたずら心が湧き起こり、リプライを返してみた。
 
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すると...
 
 
 
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意外な展開に思わず返信
 
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あれ?

 
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TELE◯POTION!
 

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写真 (9).JPG
 
  
と、最終的には互いの好きなミュージシャン(クリトリックリス)の話も飛び出し、
親友のように和気あいあいと会話。
 
戦後日本の負債を全て背負わされた上に「ゆとり」と揶揄される子供たち。
 
そして世間からの風当たりが増す一方の、教師という仕事。
 
だけど、ここには一点の曇りも無い、心の行き来が生まれていた。
 
外はまだ大雪だけど、かすかに春の予感を感じたのは僕だけだろうか。
 
中学校教師という仕事を選んで、本当に良かったと思う。
 
ゆきちゃん、ありがとう。
 
最後にスギムさんとやったセッション動画を貼っておきます。

 

 
若く、まだ力を手に入れる前のエルトンジョンが、彼氏に捧げた感動のバラード。
「Your song」 邦題は、「僕の歌は君の歌」
 
「僕には何も無いけど、君に歌をプレゼントするよ。
みんなに言っていいんだよ、これはエルトンがくれた歌なんだって。」
 
これはつまり「ゲイであることをカミングアウトしていいんだよ」という意味でもあり、
小さく強い愛の歌は、いつかゲイコミュニティ全体を包み込み、
さらに世界中の思い合う人たちを包み込む、大きな愛の歌になった。

先生はこの歌を、日本中の、ゆきちゃんに捧げます。





★夜回り先生シリーズ第1弾「若者が更生するとき」はこちら

2014年02月11日 (火曜日)
若者が更生するとき

ニューシングルがようやく店頭に並び、嬉しい日だったのだが、
深夜、こんな感じの人を発見した。

 
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ちょっといたずら心が湧き起こり、
2つのアカウントから一言ずつ話しかけてみた。

 
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すると...
 
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  更生した。
 
 
一人の人間として向き合い、根気づよく関わって行けば、
少年は立ち直れるということを実感した瞬間だった。
中学校教師という仕事を選んで良かったと思う。
パカパカくん、ありがとう。

2014年02月05日 (水曜日)
個のフォークロア / 公のフォークロア

★南相馬朝日座で 相馬の語り部のおじいちゃんおばあちゃんとセッションした時の写真を見返していた http://bit.ly/1gLYGMu 
 
★ネット上で誰もが現在進行形のフォークロアを紡ぐ時代に 古くから口頭で伝えられて来た民話とコネクトして行くことは面白く 人間の根本的な強さを思い知り 自分の足場を確認して行く作業にもなった そのうち東京にもお招き出来ると良いと思う
 
★今年は作業場に籠っての録音作業がメインになるが 朝日座での企画は継続して もう一歩 踏み込んでみたい
 
★自作のフォークロアともいえる楽曲「ぼくらのひかり」に対して 終演後 2人の方が熱っぽく話しかけてくれたことも忘れられない 原発で働いていた方や そのご家族だった この日はすぐ帰京しなくてはならなかったが 近々お会いして もう少し詳しくお話が聴けたらなと思っている
 
★これは今にして思えば個のフォークロアと公のフォークロアが交わった瞬間だったと思う この2つの差異については20代の頃からずっと考えてはいるが わかったようで わからない  
 
★もちろん両者の違いは幾つもあげられるが 人間存在に仮構された「個」というものをいったん剥ぎ取り 媒体として捉え直す時 この差異は限りなく薄くなる 
 
★敬愛する歌手 朝崎郁恵さんと歌わせて頂いた夜に御一緒した アイヌをルーツに持つ音楽家であるOKIさんが「そのうちライブを演ろう」とお声掛け下さっていたが もしまた一緒に過ごせたら また改めて解ることもあるだろうか
 
★解ったようで解らないのは 僕が自分の声帯や 体験を通して考えることを重視して ここまで来たからだろう 文献などから解った気になるのは 避けたい場合が多い 3枚組を作ったり ジャンルという言葉が消し飛ぶようなキツめの組手をすると「個」を徹底的に懐疑するし それが溶けて行く体験をする
 
★かつてなく媒体化した大衆の内側をミクロ化し流動性の高まった権力が行き来するそのうえに リトルメロディが咲いている  21世紀音楽のつぼみはまだ芽吹きたてで それが今後どのような花弁をつけるのか 夢想する
 
★今 いちばん こころ和むことはやはり 動物のなかの「個」をみつける瞬間だろう  犬はもちろん アザラシだって性格があるのだ^^  今朝 庭に来たキジは いったい どんなやつだったんだろうな  クラゲはどうだろうか  朝顔は? ウイルスは?


(2/5のtweetより)

2014年02月02日 (日曜日)
「My bro」

「My bro」

昨夜 とても良い時間を過ごさせてもらったのに 足が勝手に飛び降りそうになり おどろく 全て自分の生き方のせいで それを今後直せそうもないこと それは意思をこえて細胞レベルで 本能レベルで 体を操り 平穏さから遠ざけてしまう

いちばん大事に想って陰で時間をそそいだ相手ほど距離が出来たなと思う 人の信頼は身近なものに向かい日々の微笑み合いのなかに宿る それは考えてみれば当然のことで 自分のようにほとんど誰とも顔を合わせることがないまま何年か消えて作り終えて帰ったら 皆居場所をみつけて いなくなっている

ただやはり心残りがある ひとりひとりを愛している 皆がせっかく盛り上がっているときに危惧と焦りでうつむいてしまうような偏屈な人間だが 今のこの緩慢に停滞したときが いつか意味深い場所へ辿り着くように そこで皆が音楽とともに幸せそうに笑って暮らしていることを心から願っている

僕は最大の心残りのひとつを 手伝えることになった 10年ぶりに再会したともいえる友達の作品で 彼はそれを暗闇の中で10年かけて作ったのに あまりに痛苦が長すぎて 世の中と 離れすぎて 出す勇気がなくなっていた

でも その奇跡のような作品が世に出ることなく終わったら なんのために自分は生きて来たのだろう なんのために彼に出会ったのだろう なんのために意地をはって 人を傷つけたり 敵をつくってまで 音楽に 固執して来たのだろう

彼は15年前 ぼくをこう呼んでくれた人なのだ 兄弟と 音楽業界のなかで そんな優しさを受けるのは 初めてだった でも僕たちの間には長年の距離があった その距離を超えて どうしても お手伝いしたい そう思えたのは いま生死の境を彷徨う もう1人の友達のおかげでもある

海のむこうで いまにも消えそうな命をかかえながら きみは ぼくをMy bro と呼んでくれる そのとおり ぼくたちは きょうだいです だから どれほど 離れても わかることがある よく似たメロディを しっている

 
 
(2/2のtweetより転載)

2014年02月01日 (土曜日)
「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」

「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」
 

tweetしようと思ったけど、長いのでブログにまとめました。
意味不明のタイトルですが、事前にテーマや結論を定めないまま、
ただ偶然、楽器を弾くような感じで、
岡山の宿にて、書き連ねたものです。すみません。
  
_____________________________
 
★起床  岡山はまだ 夜と朝の間    海の向こうの僕の親友が 死に際している 戦っている  そのことがあるからか 昨夜 何人かの友達にメールをした
 
★ぼくは子供の頃から「ともだち」という字を目にしただけでショックを受け 悲しみで身体が重くなる人間だった 電話も迷惑がかかるんじゃないかと仕事上の用件だけですぐ切ってしまうクセがある でもこれからもう少し 自分の気持ちを歌以外でも伝えられるようになりたいと思った
 
 
★そういえば15歳のとき 偶然のなかで初めて歌をつくったとき 大変驚き  声を歌に変え 言葉を詞に変え リズムやメロディで 楽しめるものにすれば 数分間だけ聴いてもらえるのでは?と気付いた   創造性をたくさん盛り込めば 僕という存在に対して時間を割いてもらう申し訳なさは半減する と そう考えたのだ
 
★こうして 喋ることが出来ない代わりに 歌い続ける日々が始まった
 
★なので聴き手としては ある種の「慎ましさ」みたいなものを抱えた表現が好きだ  そしてその慎ましさや哀しさの反転として 数々のアナーキックな表現者たちが聴かせてくれたドヤ顔感満載の力強く突き抜けた音楽たちも大好きなのだが  ただドヤ顔だけしかない表現は苦手だ  そこには詩が無い メロディが無い
 
★だから疑念の少ない温室的環境ですくすくと育った人間がつくる創造性ゼロのロックもどきや いまのシステムを補強してしまうだけの薄っぺらい善意で満ちた言説を 憎むのかもしれないが 自分のそんな部分を子供じみた悪癖と呼ぶ以外にないこともよく判っている 頭では判っているのに 本能レベルで身体が反応してしまっているのだ
 
★欧米の模倣のコピーのコピーの国内産商業ロックの さらに模倣のコピーのそのまたコピーで原発や政治家をなじる とかも あまり好きではない音楽のパターンだ それはまるで攻撃対象となっている「核サイクルの思想」にそっくり相似形で 消費的で なんとも言えない閉塞感を感じ 解決が遠のく気持ちになる
 
★先日こう書いたが  http://tavito.net/blog/201401post-3.php
 
★「大衆音楽が20世紀型ポップシステムの軛を逃れ大衆の手のうちに回帰して行く時代」とは 「ポップスキルを万人が行使する時代」と言える その時代の権力はミクロ化&流動化し 限りなく小さく 捉まえ辛くなる 撃ちやすい大きな権力がところどころに存在した60年代とは違うのだ
 
★(これは特に富裕な国で顕著なことだが)21世紀音楽の時代においては 全ての人間が 権力であり 戦争的なものの加担者で 同時に 全ての人間が(それぞれの声で歌い)喜びと輝きの加担者足り得る時代であるとも言える
 
★ここから先は まさに先日紹介した本「戦争は人間的な営みである」において石川明人氏が書いていたように 「日常風景のなかで常に曖昧な戦争が持続している時代」であると言える  対抗音楽にとっても 新しい表出方法の発明が必要となる (昔 911FANTASIA 制作中もそういう意識で居た)
 
★現在制作中の「きみはひかり ぼくのひかり」3部作と 「24時間のアルバム」.......計4枚のうち  アルバム2は そういう創作の続きとして作る   アルバム1は「ともだち」やお客さんや ぼくの知っているひとたち そして まだ見ぬ愛すべきひとたちへの 感謝状として 贈り物として 作る
 
★過去の人や 現在の人だけではなく 一度も会ってない人や まだこの世に生まれていない人にも 感謝状を書くことが出来るのだ  これは僕が最近発見したことのなかで いちばん嬉しかったことだ
 
★ちょっと話がそれてしまったが  どんなものでも「歌」として深く愛している自分と  ほとんど全てを憎んでいる狭量な自分が 常に同居している
 
★さっきたまたまボブディランの発言botが目に飛び込んで来て思ったが ルーリードと同じく かなり ひねていて そもそも音楽家って こんなもんだよな とは思ったのだが   
 
★こういうタイプの人間には 面倒臭さと同時に 愛情の深さを感じるが 多くのものが形骸化しスタイルとポーズだけが残った今では 時代遅れだろうか
 
★そしてディランのような時代の人間が まるで射的のように 自由気ままに撃つことが出来た「絶対悪」と同じものを 今の時代にも見出そうとするのは 少々不誠実な行いだろう   もし本当に 人間と 音楽を 愛するならば
 
★これからは引き続きtwitterで断片的に 言葉足らずに 歌のように そしてだらしない愚痴のように 誤解を伴う形で ものを言うこともしてしまうだろうが こないだの「21世紀の音楽と その希望について」のように また時々ブログやメルマガで 長めの文章を書いてみるのも良いかもな と思った
 
★今日は蒜山雪恋まつりに出演  岡山随一の音楽人集団であるエビスヤプロによるオーガナイズで素晴らしい時間になると思うが 雪中だというのに うっかり下駄で来てしまったのだけが心残りだ 一歩踏み出すごとに 修羅場となるだろう
 
★エビスヤプロは残念ながら5/11でいったん現在の場所を立ち退きになるようだが こうした存在が これからの日本の音楽にとって そして音楽のまわりに芽生える確かな希望...人間的な成熟と輝きに満ちた生活にとって 最大の力だと思ってる  こういうことの延長上においてのみ 新しい福祉や 教育や エネルギーの問題なども解決されて行くだろう
 
★こんな小さいけれど力強いコミュニティ 文化圏が 日本中にある  日本中に音楽を愛する「ともだち」がいることを 僕は知っている  
 
★この岡山 そして福島や 宮城や 長野や 島根や 鳥取や 沖縄や 高知や 香川や 佐賀や 広島や 新潟や 山口や 岩手や 奈良や 大阪や 神奈川や 北海道や 東京や 書き切れないけど すべてのまちに
 
★それなのに 電話もメールもなかなかできず ごめんなさい  ぼくは 一人で 作曲をしながら きみの顔を 思い浮かべていました
 
★日本の 世界の片隅の誰かが 圧迫され 私たちの無意識から発するミクロ化した権力と その集合による鵺のようなマクロ権力によって追いやられ続けているこの時代に  借り物の善意と 権威的な音楽を使って さらに追いやろうとするより  自分を追い込み この微力な身体を使って なにか 新しい響きを想像してみたい

2014年01月27日 (月曜日)
「21世紀の音楽と その希望について」

「21世紀の音楽と その希望について」
 
下段の文章は、昨夜twitter上でフォロワーさんから受けた質問に対して答えようとしたものですが、思ったよりだいぶ長くなってしまい...いつのまにか力も入り、レコーディングの時間削って書いたのに少しもったいないなーとも思ったので、ブログに掲載しておくことにしました。ごく個人的な意見ですが。制作中に音楽のことを書いたりするのは良くないなと思いました。止まらなくなるから。
 
こちらの佐久間正英さんに関連した記事が、やりとりの発端となりました。
 
☆佐久間正英から若い音楽家への遺言「音楽で大金を稼ぐ時代は終わった」
http://blog.livedoor.jp/ongaku2ch/archives/35904681.html
 
☆全文
http://www.barks.jp/news/?id=1000095931
 
___________________________
 
kikkawaさんへ
 
 
twitterでは文字数が少なすぎて難しいので、こちらでお返事かかせて頂きますね。
 
正直に本心を言えば、佐久間さんの記事が目に入った瞬間は、僕も少し、無責任なものを感じました。あれだけヒットを連発された方が「若者たちよ 音楽で大金を稼ぐ時代は終わった」では、これから出て来る若い子たちが夢を持てないですよね。才能のある子たちが音楽界じゃないとこへ行っちゃうかもね。まあどれだけ商売にならなくなっても音楽に魅入られた人間は這いつくばってでも絶対に作り続けるけどね。でもバイトとか到底不可能な社会性ゼロの破滅型天才もいれば、天涯孤独で逃げ場が全く無い人もいるので、稼ごうと思えばちゃんと稼げる可能性もある世界にしときたいというかさ。それに、何一つ持ってなかった人間が、音楽でビッグになるっていうのは、単純に、男の子的に言って、かっこいいじゃないですか。
(ちょっと似た話だけど写真家の大橋仁さんも、恩師であるアラーキーさんに言われたそうです。「写真は終わった。もうこんなことやってても無駄だよ仁」って笑。仁さんは「自分の幕引きとともに写真まで終わらせようとしてるんだ〜」つって憤慨してたけど...微笑ましい話) 
 
ただ、そのあと、全文掲載されてるサイトをみつけて読んでみたら、佐久間さんの真意が解りましたし、佐久間さんは晩年になっても独自の配信など、新しいアプローチに果敢に取り組み続けた方です。(人づてに聞いた話ですが、僕の主催する配信システム「DIY STARS」とのコラボも検討して下さっていたようです)これからの音楽界のためのトライアルを、死の間際になっても、決してやめようとはしなかった人なんですね。
 
kikkawaさんは「ガラパゴス」と批判的に形容されますが、日本の風土のなかで受け入れられ易い、日本独自の商業ロックを成立させた貢献者とも言えますよね。単に商業的なだけではなく、エレカシみたいな良いバンドをヒットさせたり、僕の大好きな早川義夫さんの活動も、逝去されるぎりぎりまで支えられてましたし、四人囃子の時代から、彼は自他ともに認める根っからの音楽好きですよね。音楽を愛し、音楽に愛された男ですよね。だからもし仮に、今回のようなことではなくて、ただ酷いだけのことをおっしゃられたとしても、けっして憎めないです。すごく詳しく存じ上げてるわけではないですが、心から尊敬していますよ。
 
「ガラパゴス」の定義と是非については、きっと個別の議論が必要ですね。4枚のアルバム制作に追われている僕と、kikkawaさんの間でというよりも、もっと多くの人がいちど考えてみれば有益かもしれないですよね。「ガラパゴス」って形容は、音楽よりもむしろ国内の別分野でしきりに使われてますもんね。携帯電話とか。僕の考えでは「ガラパゴス」という何の罪もない遠くの小さな島をメタファーに使ってまで否定的に言うよりも、「日本的な立ち方の音楽」ということで、肯定的に捉えたいですけどね。
 
これまで僕はシンガーソングライターとしての創作以外に、国内外の最高レベルの奏者と即興演奏を続けて来ましたが、その経験からひとつはっきり言えるのは、日本の奏者の水準と独自性は、極めて高いということです。まったくひけを取らないどころか、欧米からは決して出て来得ない不思議なサウンドを生み出し続けています。これは自分自身のNY公演でも感じました。1本やるごとに絶賛され、終演後オーガナイザーやミュージシャンに誘われる形で、また1本ずつ公演が増えていった。いまのNYアンダーグラウンドを代表する若手やNY即興シーンの重鎮とも交わり、みな最高に愛すべき人たちで、とても楽しい経験でしたが、そのときふと思ったのは、日本の先輩や、仲間たちの凄さでした。正直言って、もうkikkawaさんが名前を挙げた中西さんや佐久間さんの世代のように、「欧米に憧れ、必死で模倣し、翻案する」という時代では無いな、とは感じました。だっていま欧米に、全員でそっちを向いて、研究し、ぜひとも真似をしなくてはならないような、驚異的なバンドや、音楽的な新しい価値観がありますか? 不遜な言い方に聞こえてしまうと嫌なのですが、ぼくはひとつも知りません。大阪や横浜のアンダーグラウンドの方が面白いのじゃないかと思います。
 
日本の音楽のレベルは、確実に上がっていて、模倣を超えた、独自性を手に入れつつある。それがなぜかというと、「ガラパゴス」というネガティヴな響きで包むより、やはり言い換えたいのですが、「日本にだけ存在した条件のなかで、日本的な成熟をして来たから」だと思います。戦前のジャズあるいは60年代のロック輸入から90年代の渋谷系に至るくらいまでは、とにかく欧米の模倣と引用がメインだった。もちろん、そうじゃない方も居ましたけどね。三上寛さんとか。でも基本線としては、模倣と引用と翻案による、学習段階で、そうすることによって、日本のポピュラー音楽の基礎体力は上がっていった。20世紀の欧米で、現在ではあまり見られなくなったような、大きな音楽的トレンドが周期的に生まれる。それを日本のレコード会社や音楽メディアが紹介し、日本国内でも売り出して、普遍化して行く。そこに日本の音楽家たちもそれぞれの角度で乗っかる、という流れがありました。
 
でも、21世紀、特に911〜イラク戦争を境にだと思いますが、争いや国内の経済問題で疲弊したアメリカの弱体化であったり、インターネットの一般化ということが同時に起こりました。そこからの流れで、現在があります。いま、個人的には、欧米の無理矢理感ただよう小規模なトレンドを追いかけるよりは、ネットで、アフリカや中東やアジアの若手を聴いている方が、遥かに面白いです。あるいは色んな国の素人さんの歌声を聴くこと。「大衆音楽」というものが、今まさに大衆の手のひらのなかに回帰しつつあることを感じ取れて、最高に楽しいです。こうして世界中の古今東西さまざまな音楽にアクセス出来るし、その全てではないですが、日本から購入出来るものは非常に多い。日本人はそういうかなり恵まれた音楽環境を生きているわけなんですね。2008年かな? remix誌で受けた取材で詳しく語った記憶がありますが、僕は欧米の音楽よりも、主にそういうものを追っかけていました。(もちろん欧米の音楽も聴いてましたよ。古めのものは生活のなかでよく聴いてるし、新しいものでも、HIPHOPとか? でも昔より頻度が減りましたね。やっぱり他の国のHIPHOPを聴いている頻度が高いです。カンボジアとか。)
 
そこにある音楽は「ガラパゴス」という言葉で矮小化するにはあまりにもったいない、豊穣さをたたえた音楽ですが、確かに、世界的な(というか欧米での)商業的な成功を収めているものは少ないですね。まずは言語の問題もありますが、もし欧米で売れたいのであれば言語の熟練度以上に「欧米の生活者のリアリティ」を自分のものとして抱えていることも大事でしょうから、その辺がひとつ障壁になっていると思います。そこをクリアしているミュージシャンが、youtubeなどで世界的な話題になっても、そのままDIYで独自の回路を作り上げるというより、既存のメジャーレーベルに吸収されていくというパターンが、現状では、多いかもしれませんね。けっして、それも悪いことではないですが、これから、他にも、さまざまな新しい音楽家のあり方が現れて来るでしょうね。本当はこれも、もっと長く書きたいですが、ちょっと時間が無いです。
 
そういえば日本のバンドで言うと、洋楽チックで日本的アイデンティティーは低めで個性の希薄なインディロックバンドとかの方が、欧米のローカルなチャートでヒットしたりっていうケースは多いですよね。向こうの文体を全身で再現した中に、外国人であるというほんの少々のエキゾチシズムが加味されて、受容されやすいのだと思います。 逆に本当の個性を持った天才的なバンドでソウルフラワーユニオンとかありますが、はたしてアメリカでバカ売れしますかね? もしそうなったら最高に痛快ですけど、才能とアイデンティティーの濃さが邪魔をして、欧米じゃ伝わりにくいっていうケースもあるのじゃないかというお話なんですが。(僕自身はそういうバンドこそ真に"世界的"なバンドだと感じますけど)
 
いま若い子の音楽的なスキルはどんどん上がって歌やラップとかも凄く上手に、英語的な雰囲気になってますし、ネットも昔より良い感じに活用してる。トラックメーカーの方も、英語圏のラッパーを招いたりして向こうのマーケットを視野に入れたアルバムが増えている印象です。日本から、世界的なヒットを出す人が、ごく近いうちに現れると思います。それもすごく楽しみなのですが、もう一本の道として、「グローバル化する前の声帯」と言うか、日本人の身体からしか出て来ようが無い、極めて日本的な形をした新しい音楽が、日本的なまま、欧米に流入して行く様も、いつか見てみたいですけどね。例えば島根県とかに日本人としか言いようがない個性的な歌を歌うガキが現れて、島根在住のままネット配信して世界中で売れまくったりしたら超面白いですよね。地元でおばあちゃんの面倒を見ながら1000万ダウンロードとかさ。もしDIY STARSのような感じで彼自身のシステムを使って売った場合200円でも約20億。2000円の作品なら収益は200億になります。その金でまったく新しい発想の文化的プロジェクトを立ち上げて島根と近隣国を繋いだりとか、おばあちゃんをサイボーグに改造してオリンピック出られるくらいまで回復させたりとか、うまい棒を20億本買って地球人類の約三分の一にプレゼントしたりとかね。そしたら20億人が彼を認識しますから、ビートルズに匹敵する知名度と言えます笑。でも、そんな馬鹿みたいに売れる必要も無いんです。音楽だけで十分やっていけてるよって存在だったり、独自の経済圏、文化圏みたいなものがもっともっと増えていけば。
 
そういうことが日本だけじゃなくて、これまではポップカルチャーの中心に居なかった、さまざまな国で、辺境で、多発的に起ったら? 音楽が政治経済など世界的な大きな力の潮流を超えて、波間から個別の顔を現す瞬間です。きっと愛らしい顔が見られると思います。いよいよ、音楽で、歌で喋る星に、近づきますよね。もしかしたら、それが僕の夢かもしれません。こんな時代ではありますが、夢だけは子供じみてたくさんある人間なので、これが一番なんだ、とはまだ言えませんが。
 
ついでに僕がやって来たこと「911FANTASIA」「billion voices」特殊な即興イベントである「百人組手」や、異なる生物種が共存するヴォーカリスト集団が声だけで物語を描く「VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!」、それから「DIY STARS」「DIY HEARTS」での音楽配信の捉え直し、そしてワークショップで福島の6歳児が作った歌などにしても、ここに書かせて頂いたような認識に基づくもので、今の日本を、1人のインディミュージシャンとして、もがきながら生きるさなかに発想しており、そのほとんどが欧米には類型の無いものだと思いますが、個別にお話しする時間が無いので、この辺で録音作業に戻ります。
 
ここまで書いて来て、ひとつ言えるのは、僕にとって音楽の希望はまったく消えていないし、自分がデビューした90年代末よりも遥かに、わくわくしているということでしょうか。日本の音楽が本当の意味で立って行くのはこれからだと感じるし、今後出て来る若い子たちのことを思うと、1音楽ファンとして、うきうきしてしまうんです。
 
身近なミュージシャン仲間の不遇さを見れば、1日中、ほんとうに焦るし、いらつきますよ。20年前だったらたくさん脚光をあびて自由に作りまくっていたはずの人間が、ギリギリの場所に追いやられている。
 
でも厳しい時代ではありますが、厳しい時代だからこそ、音楽が、こんなにも、本当の姿をさらしてくれるのですね。音楽を、その根源から、問い直すことが出来るのですね。音楽本来の強さと深さが、これまでよりもさらに立ち現れて来る可能性を秘めた、新しい時代を、僕たちは生きているのだと、そんなふうに感じています。
 
自分はとても微力ですが、ガキの頃から音楽にものすごく助けてもらったので、その10%でも、なんとか恩返ししたいです。
 
ではではマイクの前に戻ります。
 
七尾旅人
 
 
 
追記:
ここではポジティヴなことを中心に書きましたが、いま最も足りないのは媒介者です。年長の方が「もう面白い若いやつがいない」ってぼやいてるシーンをよく見かけるのですが、とんでもない話で、面白い若い子めちゃくちゃたくさん居て、過去最高に多いくらいなのですが、要は日のあたるところに出て来れてないだけなんですね。今は、欧米の引用を上手にしたからといって、すぐ雑誌の表紙になって、寵児となって、それが確実に売り上げにも結びつくような、幸福な時代では無くなっている。それが、トレンドからの引用中心ではない、輸入して来た言葉では批評し得ないような音楽ばかりであれば、尚更です。あえて乱暴に言っちゃいますけど、独自性の高い、面白い人ほど埋もれてますよ。これを打破しようとしてアーティストたちはもがいてますけど、やっぱりいちばん求めているのは、作り手と世間を繋ぐスタッフさん、新しき音楽人、エージェントですね。マネジメントやプロモートや海外向けのトランスレートなど、それから欧米主導の20世紀型ポップシステムといった中心軸がことごとく失われ、一気に外部が開き、果てしなく広大に複雑になった地球文化状況をカバーする批評によって幾つもの新鮮な地図を描ける方など、今ももちろん奮闘して下さっている方がたくさんいますが、そうした才能を持った人が新しい世代から新しいアイデアを携えてまた現れてくるたびに、21世紀の音楽が、その本領を発揮し始めると思います。