2016年07月09日 (土曜日)
「兵士A」朝日新聞デジタルの記事についての補足

「兵士A」朝日新聞デジタルの記事についての補足
 
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 観念的な「戦争やめよう」にはピンとこない 七尾旅人インタビュー
http://digital.asahi.com/articles/ASJ765TG9J76UCVL01R.html?rm=818
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7月7日の朝日新聞デジタルにて、「兵士A」についての取材をして頂きましたが、新聞メディアゆえ原稿チェックがなく、僕が実際に発言した言葉と文中の言葉に多少の差異があります。今作は微妙な問題を扱った内容で、記事公開と同日に発売日を迎えたばかりでもありますので、下記、最小限だけ補足をさせてください。

取材をしてくださった記者、板垣麻衣子さんへの批判の意図はいっさいありません。年下の明晰で情熱的な記者さんで、新しい感性を持ち、日本の今後や、新聞報道の現状についても、強い問題意識を抱えておられ、僕自身、大いに触発され、励まされもして、たいへん意義深い時間でした。
この板垣さんに対して、全面的に感謝しています。

20年近く音楽に携わって来て気づいたことですが、どんなに経験豊富な優れた方がインタビュワーでも、長尺の対話が要約され記事にまとまる過程で、実際の発言との間に意外と大きな差異が出てきます。そこを少し整えて本来的なニュアンスや心情に近づけるために原稿チェックという最終的な事実確認の機会があるものと理解しています。「原稿チェック不可」という新聞系メディア全体の伝統的なルールには今後も一定の敬意を払いますが、今作に関しては、作品の性質上、すこしだけ補足をさせてください。

執筆くださった板垣麻衣子さんには本当に申し訳ありません。取材からわずか3日間ほどのあいだに心のこもった記事を2本も、仕上げてくださった。対話中には「こんな記者さんがいるのか」という驚き、話し終えた後は、初対面にもかかわらず、懐かしい友人のように見えました。音楽や文芸をこよなく愛する方でした。

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〔補足〕

★90年代終わりに冷戦構造が崩れて
※80年代の終わりです。 

★米ソ間の安定していた時代とは全然違う
※米ソ間(西側陣営、東側陣営)の対立の拮抗により、ある意味では安定していた時代
(実際はこの時代の軍事的緊張度はきわめて高かったですし、じっさい多くの人々の血が流されました)

★自慢だったロンゲを丸刈りにして、自衛官の服を着て演じました。
そのほうがみんな目を向けてくれるんじゃないかと思って。
※自慢だったロンゲ、の部分は、明るい雰囲気だったこの日の取材現場で、すこし冗談めかして語った部分が採用されたものと思われます。(もともとロンゲといえるほど長髪ではないので) 兵士A公演をやるにあたって、自衛官の相貌により近づけるため、そして覚悟を固めるために断髪したのであって、注目を集めるためにしたのではありません。おそらく僕の語り方が曖昧であったために生じた齟齬と思われますので以後気をつけます。

★虚構の舞台の上で信じてきた、かりそめの「平和」です。そこを突くような作品をつくりたかったんです。
※と要約していただいてますが、そこを突くだけでなく、その疑念を顕在化させて、本当の平和について思考し始める契機のひとつとなるような作品を作ってみたかったということです。

★日本の戦後の思想史は、「右派」と「左派」が敵対しながらもある種もたれあう共犯関係にありました。ここ10年、そのイデオロギー対立を追い越すスピードで現実が動いています。
※(これは補足ではありません)まったくその通りです。混迷を極める2010年代ですが、こうした認識を持つ若い世代の記者さんが現れていることに希望を感じました。この共犯関係がどこか上滑りした空虚な議論ばかりの状況を生み出してきたと思います。たとえば、安保体制が消失して米軍が日本国内から撤退した場合、国際政治的にも経済的にも思想的にも極めて巨大な変動が生じますが、その場合、日本がどのような形で生存し得るか、など、政治やアカデミズムやジャーナリズムの領域の方々に複数のシミュレートを示して頂きたいことはたくさんありますが、こうした情報はめったに得られません。僅かな例外を除いてほとんどの方々が、沖縄などに負担を負わせながら米国の保護下に在り続けることを暗黙の前提としてきたからでは? 現在の私たちが、そして近未来の日本人が、どのように生存し、どのような精神で生きるか。極めて重要な問題です。

★自衛隊という最小限の犠牲で、今までの日米安保体制を維持できますよ、という話。これまでの自民党政権を踏襲しているだけです。安倍さんをファシスト呼ばわりして、引きずりおろしても何も変わらない。
※戦後70年にわたるアメリカと日本の官僚および政権による出来レースの繰り返しの踏襲です。安倍氏をファシスト、ヒトラーなどと呼ぶのを時おり目にしますが、それは一種の過大評価だと思っています。彼は、米国から、時勢に合わせてコントロールしやすい小さな手駒と目されているだけです。念のため付け加えれば、僕個人としては安倍政権も彼らの憲法改正草案もまったく受け入れられません。米国追従による大儀なき派兵に従事する一定数の自衛官という最小限の犠牲を供物にして、おおむねこれまでと似た安寧な生活を維持できると考える日本人全体の無意識があるとすれば、それもいっさい受け入れられません。

★今の時代の戦争のリアリティーを多面的に盛り込みたいというのはありました。スーダンの少年兵も出てきますが~
※「少年兵ギラン」ではコンゴの少年兵を描きました。

★民間軍事会社にアウトソーシングして、無人攻撃機でテレビゲームのように人を殺している。
※民間軍事会社や、ウォーボット(無人攻撃機など)、あるいは子ども兵、グローバルテロリズム。21世紀の戦場における新しい要素であるこれらについて個別にお話しましたが、この文ではそれが一体化していました。文字数制限の中で、なるべく僕の発言を採用しようとして、そうしてくださったのだと思います。実際のところ、現在の民間軍事会社が請け負う業務は後方支援やインテリジェンス、兵器メンテナンス、軍事訓練などがメインであり、無人攻撃機での爆撃を担ってはいないです。

★でも、ぼくは政治を音楽に取り込んでいる意識は一度もありません。これをどうしても書こう、という曲を集めていったらこうなるだけなんです。
※ふりかえってみれば「政治決定からは取りこぼされてゆくもの、隠されてゆくもの、排除されてゆくもの」を歌ってきた気がします。

★だから、原発で不始末があると「誰が責任者だったんだ」と一斉に攻撃する。
※あれだけの事態が生じたのだから、市民による批判や意思表明はあってしかるべきだと思います。ただ、さまざまな分野の作り手たちが生み出した作品の多くまで素朴な批判や風刺に終始したことには強い焦燥をおぼえ、震災後の、いろいろな試みにつながっていきました。原発事故直後の原発立地町村の方の相貌をとらえた「圏内の歌」や、そうした一家族の歩みから日本の戦後史のある側面を記述した「ぼくらのひかり」など。

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以上です。板垣さんには大変失礼しました。
自分自身がまだまだ「兵士A」という作品のややこしさに戸惑っている状態です。それゆえ説明は容易でなく、錯綜して話さざるを得ない部分があり、記事にまとめるのは大変だったと思います。初期段階の取材として板垣さんのような真摯なインタビュワーと遭遇し、考える契機を得たことは、幸運だったと思っています。