2014年02月20日 (木曜日)
開沼博 / 漂白される社会

開沼博さん「漂白される社会」、読了。
 
以前ついこのようなtweetをしてしまったが(http://bit.ly/1chrAA1)、
こんな自分にとって5歳下の開沼さんは、誰の御用もしていない希有な学者に見え、
彼の故郷である福島についての論考に初めて接したときから「異質だな」「何か共感が湧くな」と思い、気になる存在だった。
 
売春島、ホームレスギャル、貧困ビジネスなど
「あってはならぬもの」として世の中から隔離、不可視化されて行くものを取り上げた本書のコンセプトは、
これまでの彼と一見乖離したように見え、未読の方に驚きをもたらすだろうが、
拝読する前から「あっ次のステップに行かれたのだな」という確信があった。
この新刊の中では福島関連の著作を通して語ろうとした事が、これ以上ないほど誠実に発展、普遍化されている。
 
僕の興味の中心である「21世紀音楽」というものに対しても強く共鳴しつつ批評として機能する部分があり、お会いした事は無いが、同じ時代を併走する仲間という感じがして、心強く思う。
 
開沼さんの作品の、愚直とも言える生真面目さ、切実さが好きだ。
そしてまるで全霊の即興演奏のように
予め用意された答えやとってつけたようなクリシェに頼る事無く
創造性に満ちたプロセスが全面を響かせ、波立たせ、
薄やみのなかで目の前の対象に肉薄し、なんとか未来を掴もうとする、
そのあがきを見ているのが、好きだ。
 
無知な自分は、
「日本の思想て、ヒマを持て余した人のための、消費材のようなものなのかな? 
 もう人間や社会について真剣に掘り下げる事はしないのかな?」
と誤解し始めてしまい、なんとも言えない閉塞感を感じていたが、
21世紀の日本という空間に、
開沼さんのような存在が現れて来ている事に勇気を頂いている。
 
 
P.S.
編集部の方からこの御本を送って頂いてからなんと1年近くが経過してしまい...大変失礼な事をしてしまいましたが...ずっと読むのを楽しみにしつつも、個人的な迷妄の中であがき続けて居た1年間でした。最近、アルバムRECのためにようやく休みを取って引っ越ししたり、自宅に居るようになって、紀貫之とか、西鶴とか、石川明人さん「戦争は人間的な営みである」とか、PWシンガーさんの「子ども兵の戦争」を読み、腰を据えて向き合えるのは今だ!と思ってついに手を付けた「漂白される社会」、このタイミングで読めて良かったと思っています。お詫びしつつ感謝。

2014年02月14日 (金曜日)
夜回り先生シリーズ第2弾「若者と通じ合うとき」



ニューシングルのMVが公表された!


TELE◯POTION


 
 
すごく嬉しい日だったのだが、
こんな感じの人を発見した。

 
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ちょっといたずら心が湧き起こり、リプライを返してみた。
 
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すると...
 
 
 
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意外な展開に思わず返信
 
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あれ?

 
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TELE◯POTION!
 

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と、最終的には互いの好きなミュージシャン(クリトリックリス)の話も飛び出し、
親友のように和気あいあいと会話。
 
戦後日本の負債を全て背負わされた上に「ゆとり」と揶揄される子供たち。
 
そして世間からの風当たりが増す一方の、教師という仕事。
 
だけど、ここには一点の曇りも無い、心の行き来が生まれていた。
 
外はまだ大雪だけど、かすかに春の予感を感じたのは僕だけだろうか。
 
中学校教師という仕事を選んで、本当に良かったと思う。
 
ゆきちゃん、ありがとう。
 
最後にスギムさんとやったセッション動画を貼っておきます。

 

 
若く、まだ力を手に入れる前のエルトンジョンが、彼氏に捧げた感動のバラード。
「Your song」 邦題は、「僕の歌は君の歌」
 
「僕には何も無いけど、君に歌をプレゼントするよ。
みんなに言っていいんだよ、これはエルトンがくれた歌なんだって。」
 
これはつまり「ゲイであることをカミングアウトしていいんだよ」という意味でもあり、
小さく強い愛の歌は、いつかゲイコミュニティ全体を包み込み、
さらに世界中の思い合う人たちを包み込む、大きな愛の歌になった。

先生はこの歌を、日本中の、ゆきちゃんに捧げます。





★夜回り先生シリーズ第1弾「若者が更生するとき」はこちら

2014年02月11日 (火曜日)
若者が更生するとき

ニューシングルがようやく店頭に並び、嬉しい日だったのだが、
深夜、こんな感じの人を発見した。

 
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ちょっといたずら心が湧き起こり、
2つのアカウントから一言ずつ話しかけてみた。

 
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すると...
 
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  更生した。
 
 
一人の人間として向き合い、根気づよく関わって行けば、
少年は立ち直れるということを実感した瞬間だった。
中学校教師という仕事を選んで良かったと思う。
パカパカくん、ありがとう。

2014年02月05日 (水曜日)
個のフォークロア / 公のフォークロア

★南相馬朝日座で 相馬の語り部のおじいちゃんおばあちゃんとセッションした時の写真を見返していた http://bit.ly/1gLYGMu 
 
★ネット上で誰もが現在進行形のフォークロアを紡ぐ時代に 古くから口頭で伝えられて来た民話とコネクトして行くことは面白く 人間の根本的な強さを思い知り 自分の足場を確認して行く作業にもなった そのうち東京にもお招き出来ると良いと思う
 
★今年は作業場に籠っての録音作業がメインになるが 朝日座での企画は継続して もう一歩 踏み込んでみたい
 
★自作のフォークロアともいえる楽曲「ぼくらのひかり」に対して 終演後 2人の方が熱っぽく話しかけてくれたことも忘れられない 原発で働いていた方や そのご家族だった この日はすぐ帰京しなくてはならなかったが 近々お会いして もう少し詳しくお話が聴けたらなと思っている
 
★これは今にして思えば個のフォークロアと公のフォークロアが交わった瞬間だったと思う この2つの差異については20代の頃からずっと考えてはいるが わかったようで わからない  
 
★もちろん両者の違いは幾つもあげられるが 人間存在に仮構された「個」というものをいったん剥ぎ取り 媒体として捉え直す時 この差異は限りなく薄くなる 
 
★敬愛する歌手 朝崎郁恵さんと歌わせて頂いた夜に御一緒した アイヌをルーツに持つ音楽家であるOKIさんが「そのうちライブを演ろう」とお声掛け下さっていたが もしまた一緒に過ごせたら また改めて解ることもあるだろうか
 
★解ったようで解らないのは 僕が自分の声帯や 体験を通して考えることを重視して ここまで来たからだろう 文献などから解った気になるのは 避けたい場合が多い 3枚組を作ったり ジャンルという言葉が消し飛ぶようなキツめの組手をすると「個」を徹底的に懐疑するし それが溶けて行く体験をする
 
★かつてなく媒体化した大衆の内側をミクロ化し流動性の高まった権力が行き来するそのうえに リトルメロディが咲いている  21世紀音楽のつぼみはまだ芽吹きたてで それが今後どのような花弁をつけるのか 夢想する
 
★今 いちばん こころ和むことはやはり 動物のなかの「個」をみつける瞬間だろう  犬はもちろん アザラシだって性格があるのだ^^  今朝 庭に来たキジは いったい どんなやつだったんだろうな  クラゲはどうだろうか  朝顔は? ウイルスは?


(2/5のtweetより)

2014年02月02日 (日曜日)
「My bro」

「My bro」

昨夜 とても良い時間を過ごさせてもらったのに 足が勝手に飛び降りそうになり おどろく 全て自分の生き方のせいで それを今後直せそうもないこと それは意思をこえて細胞レベルで 本能レベルで 体を操り 平穏さから遠ざけてしまう

いちばん大事に想って陰で時間をそそいだ相手ほど距離が出来たなと思う 人の信頼は身近なものに向かい日々の微笑み合いのなかに宿る それは考えてみれば当然のことで 自分のようにほとんど誰とも顔を合わせることがないまま何年か消えて作り終えて帰ったら 皆居場所をみつけて いなくなっている

ただやはり心残りがある ひとりひとりを愛している 皆がせっかく盛り上がっているときに危惧と焦りでうつむいてしまうような偏屈な人間だが 今のこの緩慢に停滞したときが いつか意味深い場所へ辿り着くように そこで皆が音楽とともに幸せそうに笑って暮らしていることを心から願っている

僕は最大の心残りのひとつを 手伝えることになった 10年ぶりに再会したともいえる友達の作品で 彼はそれを暗闇の中で10年かけて作ったのに あまりに痛苦が長すぎて 世の中と 離れすぎて 出す勇気がなくなっていた

でも その奇跡のような作品が世に出ることなく終わったら なんのために自分は生きて来たのだろう なんのために彼に出会ったのだろう なんのために意地をはって 人を傷つけたり 敵をつくってまで 音楽に 固執して来たのだろう

彼は15年前 ぼくをこう呼んでくれた人なのだ 兄弟と 音楽業界のなかで そんな優しさを受けるのは 初めてだった でも僕たちの間には長年の距離があった その距離を超えて どうしても お手伝いしたい そう思えたのは いま生死の境を彷徨う もう1人の友達のおかげでもある

海のむこうで いまにも消えそうな命をかかえながら きみは ぼくをMy bro と呼んでくれる そのとおり ぼくたちは きょうだいです だから どれほど 離れても わかることがある よく似たメロディを しっている

 
 
(2/2のtweetより転載)

2014年02月01日 (土曜日)
「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」

「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」
 

tweetしようと思ったけど、長いのでブログにまとめました。
意味不明のタイトルですが、事前にテーマや結論を定めないまま、
ただ偶然、楽器を弾くような感じで、
岡山の宿にて、書き連ねたものです。すみません。
  
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★起床  岡山はまだ 夜と朝の間    海の向こうの僕の親友が 死に際している 戦っている  そのことがあるからか 昨夜 何人かの友達にメールをした
 
★ぼくは子供の頃から「ともだち」という字を目にしただけでショックを受け 悲しみで身体が重くなる人間だった 電話も迷惑がかかるんじゃないかと仕事上の用件だけですぐ切ってしまうクセがある でもこれからもう少し 自分の気持ちを歌以外でも伝えられるようになりたいと思った
 
 
★そういえば15歳のとき 偶然のなかで初めて歌をつくったとき 大変驚き  声を歌に変え 言葉を詞に変え リズムやメロディで 楽しめるものにすれば 数分間だけ聴いてもらえるのでは?と気付いた   創造性をたくさん盛り込めば 僕という存在に対して時間を割いてもらう申し訳なさは半減する と そう考えたのだ
 
★こうして 喋ることが出来ない代わりに 歌い続ける日々が始まった
 
★なので聴き手としては ある種の「慎ましさ」みたいなものを抱えた表現が好きだ  そしてその慎ましさや哀しさの反転として 数々のアナーキックな表現者たちが聴かせてくれたドヤ顔感満載の力強く突き抜けた音楽たちも大好きなのだが  ただドヤ顔だけしかない表現は苦手だ  そこには詩が無い メロディが無い
 
★だから疑念の少ない温室的環境ですくすくと育った人間がつくる創造性ゼロのロックもどきや いまのシステムを補強してしまうだけの薄っぺらい善意で満ちた言説を 憎むのかもしれないが 自分のそんな部分を子供じみた悪癖と呼ぶ以外にないこともよく判っている 頭では判っているのに 本能レベルで身体が反応してしまっているのだ
 
★欧米の模倣のコピーのコピーの国内産商業ロックの さらに模倣のコピーのそのまたコピーで原発や政治家をなじる とかも あまり好きではない音楽のパターンだ それはまるで攻撃対象となっている「核サイクルの思想」にそっくり相似形で 消費的で なんとも言えない閉塞感を感じ 解決が遠のく気持ちになる
 
★先日こう書いたが  http://tavito.net/blog/201401post-3.php
 
★「大衆音楽が20世紀型ポップシステムの軛を逃れ大衆の手のうちに回帰して行く時代」とは 「ポップスキルを万人が行使する時代」と言える その時代の権力はミクロ化&流動化し 限りなく小さく 捉まえ辛くなる 撃ちやすい大きな権力がところどころに存在した60年代とは違うのだ
 
★(これは特に富裕な国で顕著なことだが)21世紀音楽の時代においては 全ての人間が 権力であり 戦争的なものの加担者で 同時に 全ての人間が(それぞれの声で歌い)喜びと輝きの加担者足り得る時代であるとも言える
 
★ここから先は まさに先日紹介した本「戦争は人間的な営みである」において石川明人氏が書いていたように 「日常風景のなかで常に曖昧な戦争が持続している時代」であると言える  対抗音楽にとっても 新しい表出方法の発明が必要となる (昔 911FANTASIA 制作中もそういう意識で居た)
 
★現在制作中の「きみはひかり ぼくのひかり」3部作と 「24時間のアルバム」.......計4枚のうち  アルバム2は そういう創作の続きとして作る   アルバム1は「ともだち」やお客さんや ぼくの知っているひとたち そして まだ見ぬ愛すべきひとたちへの 感謝状として 贈り物として 作る
 
★過去の人や 現在の人だけではなく 一度も会ってない人や まだこの世に生まれていない人にも 感謝状を書くことが出来るのだ  これは僕が最近発見したことのなかで いちばん嬉しかったことだ
 
★ちょっと話がそれてしまったが  どんなものでも「歌」として深く愛している自分と  ほとんど全てを憎んでいる狭量な自分が 常に同居している
 
★さっきたまたまボブディランの発言botが目に飛び込んで来て思ったが ルーリードと同じく かなり ひねていて そもそも音楽家って こんなもんだよな とは思ったのだが   
 
★こういうタイプの人間には 面倒臭さと同時に 愛情の深さを感じるが 多くのものが形骸化しスタイルとポーズだけが残った今では 時代遅れだろうか
 
★そしてディランのような時代の人間が まるで射的のように 自由気ままに撃つことが出来た「絶対悪」と同じものを 今の時代にも見出そうとするのは 少々不誠実な行いだろう   もし本当に 人間と 音楽を 愛するならば
 
★これからは引き続きtwitterで断片的に 言葉足らずに 歌のように そしてだらしない愚痴のように 誤解を伴う形で ものを言うこともしてしまうだろうが こないだの「21世紀の音楽と その希望について」のように また時々ブログやメルマガで 長めの文章を書いてみるのも良いかもな と思った
 
★今日は蒜山雪恋まつりに出演  岡山随一の音楽人集団であるエビスヤプロによるオーガナイズで素晴らしい時間になると思うが 雪中だというのに うっかり下駄で来てしまったのだけが心残りだ 一歩踏み出すごとに 修羅場となるだろう
 
★エビスヤプロは残念ながら5/11でいったん現在の場所を立ち退きになるようだが こうした存在が これからの日本の音楽にとって そして音楽のまわりに芽生える確かな希望...人間的な成熟と輝きに満ちた生活にとって 最大の力だと思ってる  こういうことの延長上においてのみ 新しい福祉や 教育や エネルギーの問題なども解決されて行くだろう
 
★こんな小さいけれど力強いコミュニティ 文化圏が 日本中にある  日本中に音楽を愛する「ともだち」がいることを 僕は知っている  
 
★この岡山 そして福島や 宮城や 長野や 島根や 鳥取や 沖縄や 高知や 香川や 佐賀や 広島や 新潟や 山口や 岩手や 奈良や 大阪や 神奈川や 北海道や 東京や 書き切れないけど すべてのまちに
 
★それなのに 電話もメールもなかなかできず ごめんなさい  ぼくは 一人で 作曲をしながら きみの顔を 思い浮かべていました
 
★日本の 世界の片隅の誰かが 圧迫され 私たちの無意識から発するミクロ化した権力と その集合による鵺のようなマクロ権力によって追いやられ続けているこの時代に  借り物の善意と 権威的な音楽を使って さらに追いやろうとするより  自分を追い込み この微力な身体を使って なにか 新しい響きを想像してみたい