2014年02月01日 (土曜日)
「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」
「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」
tweetしようと思ったけど、長いのでブログにまとめました。
意味不明のタイトルですが、事前にテーマや結論を定めないまま、
ただ偶然、楽器を弾くような感じで、
岡山の宿にて、書き連ねたものです。すみません。
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★起床 岡山はまだ 夜と朝の間 海の向こうの僕の親友が 死に際している 戦っている そのことがあるからか 昨夜 何人かの友達にメールをした
★ぼくは子供の頃から「ともだち」という字を目にしただけでショックを受け 悲しみで身体が重くなる人間だった 電話も迷惑がかかるんじゃないかと仕事上の用件だけですぐ切ってしまうクセがある でもこれからもう少し 自分の気持ちを歌以外でも伝えられるようになりたいと思った
★そういえば15歳のとき 偶然のなかで初めて歌をつくったとき 大変驚き 声を歌に変え 言葉を詞に変え リズムやメロディで 楽しめるものにすれば 数分間だけ聴いてもらえるのでは?と気付いた 創造性をたくさん盛り込めば 僕という存在に対して時間を割いてもらう申し訳なさは半減する と そう考えたのだ
★こうして 喋ることが出来ない代わりに 歌い続ける日々が始まった
★なので聴き手としては ある種の「慎ましさ」みたいなものを抱えた表現が好きだ そしてその慎ましさや哀しさの反転として 数々のアナーキックな表現者たちが聴かせてくれたドヤ顔感満載の力強く突き抜けた音楽たちも大好きなのだが ただドヤ顔だけしかない表現は苦手だ そこには詩が無い メロディが無い
★だから疑念の少ない温室的環境ですくすくと育った人間がつくる創造性ゼロのロックもどきや いまのシステムを補強してしまうだけの薄っぺらい善意で満ちた言説を 憎むのかもしれないが 自分のそんな部分を子供じみた悪癖と呼ぶ以外にないこともよく判っている 頭では判っているのに 本能レベルで身体が反応してしまっているのだ
★欧米の模倣のコピーのコピーの国内産商業ロックの さらに模倣のコピーのそのまたコピーで原発や政治家をなじる とかも あまり好きではない音楽のパターンだ それはまるで攻撃対象となっている「核サイクルの思想」にそっくり相似形で 消費的で なんとも言えない閉塞感を感じ 解決が遠のく気持ちになる
★先日こう書いたが http://tavito.net/blog/201401post-3.php
★「大衆音楽が20世紀型ポップシステムの軛を逃れ大衆の手のうちに回帰して行く時代」とは 「ポップスキルを万人が行使する時代」と言える その時代の権力はミクロ化&流動化し 限りなく小さく 捉まえ辛くなる 撃ちやすい大きな権力がところどころに存在した60年代とは違うのだ
★(これは特に富裕な国で顕著なことだが)21世紀音楽の時代においては 全ての人間が 権力であり 戦争的なものの加担者で 同時に 全ての人間が(それぞれの声で歌い)喜びと輝きの加担者足り得る時代であるとも言える
★ここから先は まさに先日紹介した本「戦争は人間的な営みである」において石川明人氏が書いていたように 「日常風景のなかで常に曖昧な戦争が持続している時代」であると言える 対抗音楽にとっても 新しい表出方法の発明が必要となる (昔 911FANTASIA 制作中もそういう意識で居た)
★現在制作中の「きみはひかり ぼくのひかり」3部作と 「24時間のアルバム」.......計4枚のうち アルバム2は そういう創作の続きとして作る アルバム1は「ともだち」やお客さんや ぼくの知っているひとたち そして まだ見ぬ愛すべきひとたちへの 感謝状として 贈り物として 作る
★過去の人や 現在の人だけではなく 一度も会ってない人や まだこの世に生まれていない人にも 感謝状を書くことが出来るのだ これは僕が最近発見したことのなかで いちばん嬉しかったことだ
★ちょっと話がそれてしまったが どんなものでも「歌」として深く愛している自分と ほとんど全てを憎んでいる狭量な自分が 常に同居している
★さっきたまたまボブディランの発言botが目に飛び込んで来て思ったが ルーリードと同じく かなり ひねていて そもそも音楽家って こんなもんだよな とは思ったのだが
★こういうタイプの人間には 面倒臭さと同時に 愛情の深さを感じるが 多くのものが形骸化しスタイルとポーズだけが残った今では 時代遅れだろうか
★そしてディランのような時代の人間が まるで射的のように 自由気ままに撃つことが出来た「絶対悪」と同じものを 今の時代にも見出そうとするのは 少々不誠実な行いだろう もし本当に 人間と 音楽を 愛するならば
★これからは引き続きtwitterで断片的に 言葉足らずに 歌のように そしてだらしない愚痴のように 誤解を伴う形で ものを言うこともしてしまうだろうが こないだの「21世紀の音楽と その希望について」のように また時々ブログやメルマガで 長めの文章を書いてみるのも良いかもな と思った
★今日は蒜山雪恋まつりに出演 岡山随一の音楽人集団であるエビスヤプロによるオーガナイズで素晴らしい時間になると思うが 雪中だというのに うっかり下駄で来てしまったのだけが心残りだ 一歩踏み出すごとに 修羅場となるだろう
★エビスヤプロは残念ながら5/11でいったん現在の場所を立ち退きになるようだが こうした存在が これからの日本の音楽にとって そして音楽のまわりに芽生える確かな希望...人間的な成熟と輝きに満ちた生活にとって 最大の力だと思ってる こういうことの延長上においてのみ 新しい福祉や 教育や エネルギーの問題なども解決されて行くだろう
★こんな小さいけれど力強いコミュニティ 文化圏が 日本中にある 日本中に音楽を愛する「ともだち」がいることを 僕は知っている
★この岡山 そして福島や 宮城や 長野や 島根や 鳥取や 沖縄や 高知や 香川や 佐賀や 広島や 新潟や 山口や 岩手や 奈良や 大阪や 神奈川や 北海道や 東京や 書き切れないけど すべてのまちに
★それなのに 電話もメールもなかなかできず ごめんなさい ぼくは 一人で 作曲をしながら きみの顔を 思い浮かべていました
★日本の 世界の片隅の誰かが 圧迫され 私たちの無意識から発するミクロ化した権力と その集合による鵺のようなマクロ権力によって追いやられ続けているこの時代に 借り物の善意と 権威的な音楽を使って さらに追いやろうとするより 自分を追い込み この微力な身体を使って なにか 新しい響きを想像してみたい