2014年02月20日 (木曜日)
開沼博 / 漂白される社会

開沼博さん「漂白される社会」、読了。
 
以前ついこのようなtweetをしてしまったが(http://bit.ly/1chrAA1)、
こんな自分にとって5歳下の開沼さんは、誰の御用もしていない希有な学者に見え、
彼の故郷である福島についての論考に初めて接したときから「異質だな」「何か共感が湧くな」と思い、気になる存在だった。
 
売春島、ホームレスギャル、貧困ビジネスなど
「あってはならぬもの」として世の中から隔離、不可視化されて行くものを取り上げた本書のコンセプトは、
これまでの彼と一見乖離したように見え、未読の方に驚きをもたらすだろうが、
拝読する前から「あっ次のステップに行かれたのだな」という確信があった。
この新刊の中では福島関連の著作を通して語ろうとした事が、これ以上ないほど誠実に発展、普遍化されている。
 
僕の興味の中心である「21世紀音楽」というものに対しても強く共鳴しつつ批評として機能する部分があり、お会いした事は無いが、同じ時代を併走する仲間という感じがして、心強く思う。
 
開沼さんの作品の、愚直とも言える生真面目さ、切実さが好きだ。
そしてまるで全霊の即興演奏のように
予め用意された答えやとってつけたようなクリシェに頼る事無く
創造性に満ちたプロセスが全面を響かせ、波立たせ、
薄やみのなかで目の前の対象に肉薄し、なんとか未来を掴もうとする、
そのあがきを見ているのが、好きだ。
 
無知な自分は、
「日本の思想て、ヒマを持て余した人のための、消費材のようなものなのかな? 
 もう人間や社会について真剣に掘り下げる事はしないのかな?」
と誤解し始めてしまい、なんとも言えない閉塞感を感じていたが、
21世紀の日本という空間に、
開沼さんのような存在が現れて来ている事に勇気を頂いている。
 
 
P.S.
編集部の方からこの御本を送って頂いてからなんと1年近くが経過してしまい...大変失礼な事をしてしまいましたが...ずっと読むのを楽しみにしつつも、個人的な迷妄の中であがき続けて居た1年間でした。最近、アルバムRECのためにようやく休みを取って引っ越ししたり、自宅に居るようになって、紀貫之とか、西鶴とか、石川明人さん「戦争は人間的な営みである」とか、PWシンガーさんの「子ども兵の戦争」を読み、腰を据えて向き合えるのは今だ!と思ってついに手を付けた「漂白される社会」、このタイミングで読めて良かったと思っています。お詫びしつつ感謝。

2014年02月14日 (金曜日)
夜回り先生シリーズ第2弾「若者と通じ合うとき」



ニューシングルのMVが公表された!


TELE◯POTION


 
 
すごく嬉しい日だったのだが、
こんな感じの人を発見した。

 
写真.JPG
 
写真 (1).JPG
  

ちょっといたずら心が湧き起こり、リプライを返してみた。
 
写真 (2).JPG
 
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すると...
 
 
 
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意外な展開に思わず返信
 
写真 (5).JPG
 


あれ?

 
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写真 (7).JPG
 

TELE◯POTION!
 

写真 (8).JPG
 
写真 (9).JPG
 
  
と、最終的には互いの好きなミュージシャン(クリトリックリス)の話も飛び出し、
親友のように和気あいあいと会話。
 
戦後日本の負債を全て背負わされた上に「ゆとり」と揶揄される子供たち。
 
そして世間からの風当たりが増す一方の、教師という仕事。
 
だけど、ここには一点の曇りも無い、心の行き来が生まれていた。
 
外はまだ大雪だけど、かすかに春の予感を感じたのは僕だけだろうか。
 
中学校教師という仕事を選んで、本当に良かったと思う。
 
ゆきちゃん、ありがとう。
 
最後にスギムさんとやったセッション動画を貼っておきます。

 

 
若く、まだ力を手に入れる前のエルトンジョンが、彼氏に捧げた感動のバラード。
「Your song」 邦題は、「僕の歌は君の歌」
 
「僕には何も無いけど、君に歌をプレゼントするよ。
みんなに言っていいんだよ、これはエルトンがくれた歌なんだって。」
 
これはつまり「ゲイであることをカミングアウトしていいんだよ」という意味でもあり、
小さく強い愛の歌は、いつかゲイコミュニティ全体を包み込み、
さらに世界中の思い合う人たちを包み込む、大きな愛の歌になった。

先生はこの歌を、日本中の、ゆきちゃんに捧げます。





★夜回り先生シリーズ第1弾「若者が更生するとき」はこちら

2014年02月11日 (火曜日)
若者が更生するとき

ニューシングルがようやく店頭に並び、嬉しい日だったのだが、
深夜、こんな感じの人を発見した。

 
paka1'.jpg

 
ちょっといたずら心が湧き起こり、
2つのアカウントから一言ずつ話しかけてみた。

 
paka2.JPG
 
 
すると...
 
paka3.JPG
 
  更生した。
 
 
一人の人間として向き合い、根気づよく関わって行けば、
少年は立ち直れるということを実感した瞬間だった。
中学校教師という仕事を選んで良かったと思う。
パカパカくん、ありがとう。

2014年02月05日 (水曜日)
個のフォークロア / 公のフォークロア

★南相馬朝日座で 相馬の語り部のおじいちゃんおばあちゃんとセッションした時の写真を見返していた http://bit.ly/1gLYGMu 
 
★ネット上で誰もが現在進行形のフォークロアを紡ぐ時代に 古くから口頭で伝えられて来た民話とコネクトして行くことは面白く 人間の根本的な強さを思い知り 自分の足場を確認して行く作業にもなった そのうち東京にもお招き出来ると良いと思う
 
★今年は作業場に籠っての録音作業がメインになるが 朝日座での企画は継続して もう一歩 踏み込んでみたい
 
★自作のフォークロアともいえる楽曲「ぼくらのひかり」に対して 終演後 2人の方が熱っぽく話しかけてくれたことも忘れられない 原発で働いていた方や そのご家族だった この日はすぐ帰京しなくてはならなかったが 近々お会いして もう少し詳しくお話が聴けたらなと思っている
 
★これは今にして思えば個のフォークロアと公のフォークロアが交わった瞬間だったと思う この2つの差異については20代の頃からずっと考えてはいるが わかったようで わからない  
 
★もちろん両者の違いは幾つもあげられるが 人間存在に仮構された「個」というものをいったん剥ぎ取り 媒体として捉え直す時 この差異は限りなく薄くなる 
 
★敬愛する歌手 朝崎郁恵さんと歌わせて頂いた夜に御一緒した アイヌをルーツに持つ音楽家であるOKIさんが「そのうちライブを演ろう」とお声掛け下さっていたが もしまた一緒に過ごせたら また改めて解ることもあるだろうか
 
★解ったようで解らないのは 僕が自分の声帯や 体験を通して考えることを重視して ここまで来たからだろう 文献などから解った気になるのは 避けたい場合が多い 3枚組を作ったり ジャンルという言葉が消し飛ぶようなキツめの組手をすると「個」を徹底的に懐疑するし それが溶けて行く体験をする
 
★かつてなく媒体化した大衆の内側をミクロ化し流動性の高まった権力が行き来するそのうえに リトルメロディが咲いている  21世紀音楽のつぼみはまだ芽吹きたてで それが今後どのような花弁をつけるのか 夢想する
 
★今 いちばん こころ和むことはやはり 動物のなかの「個」をみつける瞬間だろう  犬はもちろん アザラシだって性格があるのだ^^  今朝 庭に来たキジは いったい どんなやつだったんだろうな  クラゲはどうだろうか  朝顔は? ウイルスは?


(2/5のtweetより)

2014年02月02日 (日曜日)
「My bro」

「My bro」

昨夜 とても良い時間を過ごさせてもらったのに 足が勝手に飛び降りそうになり おどろく 全て自分の生き方のせいで それを今後直せそうもないこと それは意思をこえて細胞レベルで 本能レベルで 体を操り 平穏さから遠ざけてしまう

いちばん大事に想って陰で時間をそそいだ相手ほど距離が出来たなと思う 人の信頼は身近なものに向かい日々の微笑み合いのなかに宿る それは考えてみれば当然のことで 自分のようにほとんど誰とも顔を合わせることがないまま何年か消えて作り終えて帰ったら 皆居場所をみつけて いなくなっている

ただやはり心残りがある ひとりひとりを愛している 皆がせっかく盛り上がっているときに危惧と焦りでうつむいてしまうような偏屈な人間だが 今のこの緩慢に停滞したときが いつか意味深い場所へ辿り着くように そこで皆が音楽とともに幸せそうに笑って暮らしていることを心から願っている

僕は最大の心残りのひとつを 手伝えることになった 10年ぶりに再会したともいえる友達の作品で 彼はそれを暗闇の中で10年かけて作ったのに あまりに痛苦が長すぎて 世の中と 離れすぎて 出す勇気がなくなっていた

でも その奇跡のような作品が世に出ることなく終わったら なんのために自分は生きて来たのだろう なんのために彼に出会ったのだろう なんのために意地をはって 人を傷つけたり 敵をつくってまで 音楽に 固執して来たのだろう

彼は15年前 ぼくをこう呼んでくれた人なのだ 兄弟と 音楽業界のなかで そんな優しさを受けるのは 初めてだった でも僕たちの間には長年の距離があった その距離を超えて どうしても お手伝いしたい そう思えたのは いま生死の境を彷徨う もう1人の友達のおかげでもある

海のむこうで いまにも消えそうな命をかかえながら きみは ぼくをMy bro と呼んでくれる そのとおり ぼくたちは きょうだいです だから どれほど 離れても わかることがある よく似たメロディを しっている

 
 
(2/2のtweetより転載)

2014年02月01日 (土曜日)
「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」

「21世紀音楽の明暗や ともだちや 愛憎や 権力について」
 

tweetしようと思ったけど、長いのでブログにまとめました。
意味不明のタイトルですが、事前にテーマや結論を定めないまま、
ただ偶然、楽器を弾くような感じで、
岡山の宿にて、書き連ねたものです。すみません。
  
_____________________________
 
★起床  岡山はまだ 夜と朝の間    海の向こうの僕の親友が 死に際している 戦っている  そのことがあるからか 昨夜 何人かの友達にメールをした
 
★ぼくは子供の頃から「ともだち」という字を目にしただけでショックを受け 悲しみで身体が重くなる人間だった 電話も迷惑がかかるんじゃないかと仕事上の用件だけですぐ切ってしまうクセがある でもこれからもう少し 自分の気持ちを歌以外でも伝えられるようになりたいと思った
 
 
★そういえば15歳のとき 偶然のなかで初めて歌をつくったとき 大変驚き  声を歌に変え 言葉を詞に変え リズムやメロディで 楽しめるものにすれば 数分間だけ聴いてもらえるのでは?と気付いた   創造性をたくさん盛り込めば 僕という存在に対して時間を割いてもらう申し訳なさは半減する と そう考えたのだ
 
★こうして 喋ることが出来ない代わりに 歌い続ける日々が始まった
 
★なので聴き手としては ある種の「慎ましさ」みたいなものを抱えた表現が好きだ  そしてその慎ましさや哀しさの反転として 数々のアナーキックな表現者たちが聴かせてくれたドヤ顔感満載の力強く突き抜けた音楽たちも大好きなのだが  ただドヤ顔だけしかない表現は苦手だ  そこには詩が無い メロディが無い
 
★だから疑念の少ない温室的環境ですくすくと育った人間がつくる創造性ゼロのロックもどきや いまのシステムを補強してしまうだけの薄っぺらい善意で満ちた言説を 憎むのかもしれないが 自分のそんな部分を子供じみた悪癖と呼ぶ以外にないこともよく判っている 頭では判っているのに 本能レベルで身体が反応してしまっているのだ
 
★欧米の模倣のコピーのコピーの国内産商業ロックの さらに模倣のコピーのそのまたコピーで原発や政治家をなじる とかも あまり好きではない音楽のパターンだ それはまるで攻撃対象となっている「核サイクルの思想」にそっくり相似形で 消費的で なんとも言えない閉塞感を感じ 解決が遠のく気持ちになる
 
★先日こう書いたが  http://tavito.net/blog/201401post-3.php
 
★「大衆音楽が20世紀型ポップシステムの軛を逃れ大衆の手のうちに回帰して行く時代」とは 「ポップスキルを万人が行使する時代」と言える その時代の権力はミクロ化&流動化し 限りなく小さく 捉まえ辛くなる 撃ちやすい大きな権力がところどころに存在した60年代とは違うのだ
 
★(これは特に富裕な国で顕著なことだが)21世紀音楽の時代においては 全ての人間が 権力であり 戦争的なものの加担者で 同時に 全ての人間が(それぞれの声で歌い)喜びと輝きの加担者足り得る時代であるとも言える
 
★ここから先は まさに先日紹介した本「戦争は人間的な営みである」において石川明人氏が書いていたように 「日常風景のなかで常に曖昧な戦争が持続している時代」であると言える  対抗音楽にとっても 新しい表出方法の発明が必要となる (昔 911FANTASIA 制作中もそういう意識で居た)
 
★現在制作中の「きみはひかり ぼくのひかり」3部作と 「24時間のアルバム」.......計4枚のうち  アルバム2は そういう創作の続きとして作る   アルバム1は「ともだち」やお客さんや ぼくの知っているひとたち そして まだ見ぬ愛すべきひとたちへの 感謝状として 贈り物として 作る
 
★過去の人や 現在の人だけではなく 一度も会ってない人や まだこの世に生まれていない人にも 感謝状を書くことが出来るのだ  これは僕が最近発見したことのなかで いちばん嬉しかったことだ
 
★ちょっと話がそれてしまったが  どんなものでも「歌」として深く愛している自分と  ほとんど全てを憎んでいる狭量な自分が 常に同居している
 
★さっきたまたまボブディランの発言botが目に飛び込んで来て思ったが ルーリードと同じく かなり ひねていて そもそも音楽家って こんなもんだよな とは思ったのだが   
 
★こういうタイプの人間には 面倒臭さと同時に 愛情の深さを感じるが 多くのものが形骸化しスタイルとポーズだけが残った今では 時代遅れだろうか
 
★そしてディランのような時代の人間が まるで射的のように 自由気ままに撃つことが出来た「絶対悪」と同じものを 今の時代にも見出そうとするのは 少々不誠実な行いだろう   もし本当に 人間と 音楽を 愛するならば
 
★これからは引き続きtwitterで断片的に 言葉足らずに 歌のように そしてだらしない愚痴のように 誤解を伴う形で ものを言うこともしてしまうだろうが こないだの「21世紀の音楽と その希望について」のように また時々ブログやメルマガで 長めの文章を書いてみるのも良いかもな と思った
 
★今日は蒜山雪恋まつりに出演  岡山随一の音楽人集団であるエビスヤプロによるオーガナイズで素晴らしい時間になると思うが 雪中だというのに うっかり下駄で来てしまったのだけが心残りだ 一歩踏み出すごとに 修羅場となるだろう
 
★エビスヤプロは残念ながら5/11でいったん現在の場所を立ち退きになるようだが こうした存在が これからの日本の音楽にとって そして音楽のまわりに芽生える確かな希望...人間的な成熟と輝きに満ちた生活にとって 最大の力だと思ってる  こういうことの延長上においてのみ 新しい福祉や 教育や エネルギーの問題なども解決されて行くだろう
 
★こんな小さいけれど力強いコミュニティ 文化圏が 日本中にある  日本中に音楽を愛する「ともだち」がいることを 僕は知っている  
 
★この岡山 そして福島や 宮城や 長野や 島根や 鳥取や 沖縄や 高知や 香川や 佐賀や 広島や 新潟や 山口や 岩手や 奈良や 大阪や 神奈川や 北海道や 東京や 書き切れないけど すべてのまちに
 
★それなのに 電話もメールもなかなかできず ごめんなさい  ぼくは 一人で 作曲をしながら きみの顔を 思い浮かべていました
 
★日本の 世界の片隅の誰かが 圧迫され 私たちの無意識から発するミクロ化した権力と その集合による鵺のようなマクロ権力によって追いやられ続けているこの時代に  借り物の善意と 権威的な音楽を使って さらに追いやろうとするより  自分を追い込み この微力な身体を使って なにか 新しい響きを想像してみたい

2014年01月27日 (月曜日)
「21世紀の音楽と その希望について」

「21世紀の音楽と その希望について」
 
下段の文章は、昨夜twitter上でフォロワーさんから受けた質問に対して答えようとしたものですが、思ったよりだいぶ長くなってしまい...いつのまにか力も入り、レコーディングの時間削って書いたのに少しもったいないなーとも思ったので、ブログに掲載しておくことにしました。ごく個人的な意見ですが。制作中に音楽のことを書いたりするのは良くないなと思いました。止まらなくなるから。
 
こちらの佐久間正英さんに関連した記事が、やりとりの発端となりました。
 
☆佐久間正英から若い音楽家への遺言「音楽で大金を稼ぐ時代は終わった」
http://blog.livedoor.jp/ongaku2ch/archives/35904681.html
 
☆全文
http://www.barks.jp/news/?id=1000095931
 
___________________________
 
kikkawaさんへ
 
 
twitterでは文字数が少なすぎて難しいので、こちらでお返事かかせて頂きますね。
 
正直に本心を言えば、佐久間さんの記事が目に入った瞬間は、僕も少し、無責任なものを感じました。あれだけヒットを連発された方が「若者たちよ 音楽で大金を稼ぐ時代は終わった」では、これから出て来る若い子たちが夢を持てないですよね。才能のある子たちが音楽界じゃないとこへ行っちゃうかもね。まあどれだけ商売にならなくなっても音楽に魅入られた人間は這いつくばってでも絶対に作り続けるけどね。でもバイトとか到底不可能な社会性ゼロの破滅型天才もいれば、天涯孤独で逃げ場が全く無い人もいるので、稼ごうと思えばちゃんと稼げる可能性もある世界にしときたいというかさ。それに、何一つ持ってなかった人間が、音楽でビッグになるっていうのは、単純に、男の子的に言って、かっこいいじゃないですか。
(ちょっと似た話だけど写真家の大橋仁さんも、恩師であるアラーキーさんに言われたそうです。「写真は終わった。もうこんなことやってても無駄だよ仁」って笑。仁さんは「自分の幕引きとともに写真まで終わらせようとしてるんだ〜」つって憤慨してたけど...微笑ましい話) 
 
ただ、そのあと、全文掲載されてるサイトをみつけて読んでみたら、佐久間さんの真意が解りましたし、佐久間さんは晩年になっても独自の配信など、新しいアプローチに果敢に取り組み続けた方です。(人づてに聞いた話ですが、僕の主催する配信システム「DIY STARS」とのコラボも検討して下さっていたようです)これからの音楽界のためのトライアルを、死の間際になっても、決してやめようとはしなかった人なんですね。
 
kikkawaさんは「ガラパゴス」と批判的に形容されますが、日本の風土のなかで受け入れられ易い、日本独自の商業ロックを成立させた貢献者とも言えますよね。単に商業的なだけではなく、エレカシみたいな良いバンドをヒットさせたり、僕の大好きな早川義夫さんの活動も、逝去されるぎりぎりまで支えられてましたし、四人囃子の時代から、彼は自他ともに認める根っからの音楽好きですよね。音楽を愛し、音楽に愛された男ですよね。だからもし仮に、今回のようなことではなくて、ただ酷いだけのことをおっしゃられたとしても、けっして憎めないです。すごく詳しく存じ上げてるわけではないですが、心から尊敬していますよ。
 
「ガラパゴス」の定義と是非については、きっと個別の議論が必要ですね。4枚のアルバム制作に追われている僕と、kikkawaさんの間でというよりも、もっと多くの人がいちど考えてみれば有益かもしれないですよね。「ガラパゴス」って形容は、音楽よりもむしろ国内の別分野でしきりに使われてますもんね。携帯電話とか。僕の考えでは「ガラパゴス」という何の罪もない遠くの小さな島をメタファーに使ってまで否定的に言うよりも、「日本的な立ち方の音楽」ということで、肯定的に捉えたいですけどね。
 
これまで僕はシンガーソングライターとしての創作以外に、国内外の最高レベルの奏者と即興演奏を続けて来ましたが、その経験からひとつはっきり言えるのは、日本の奏者の水準と独自性は、極めて高いということです。まったくひけを取らないどころか、欧米からは決して出て来得ない不思議なサウンドを生み出し続けています。これは自分自身のNY公演でも感じました。1本やるごとに絶賛され、終演後オーガナイザーやミュージシャンに誘われる形で、また1本ずつ公演が増えていった。いまのNYアンダーグラウンドを代表する若手やNY即興シーンの重鎮とも交わり、みな最高に愛すべき人たちで、とても楽しい経験でしたが、そのときふと思ったのは、日本の先輩や、仲間たちの凄さでした。正直言って、もうkikkawaさんが名前を挙げた中西さんや佐久間さんの世代のように、「欧米に憧れ、必死で模倣し、翻案する」という時代では無いな、とは感じました。だっていま欧米に、全員でそっちを向いて、研究し、ぜひとも真似をしなくてはならないような、驚異的なバンドや、音楽的な新しい価値観がありますか? 不遜な言い方に聞こえてしまうと嫌なのですが、ぼくはひとつも知りません。大阪や横浜のアンダーグラウンドの方が面白いのじゃないかと思います。
 
日本の音楽のレベルは、確実に上がっていて、模倣を超えた、独自性を手に入れつつある。それがなぜかというと、「ガラパゴス」というネガティヴな響きで包むより、やはり言い換えたいのですが、「日本にだけ存在した条件のなかで、日本的な成熟をして来たから」だと思います。戦前のジャズあるいは60年代のロック輸入から90年代の渋谷系に至るくらいまでは、とにかく欧米の模倣と引用がメインだった。もちろん、そうじゃない方も居ましたけどね。三上寛さんとか。でも基本線としては、模倣と引用と翻案による、学習段階で、そうすることによって、日本のポピュラー音楽の基礎体力は上がっていった。20世紀の欧米で、現在ではあまり見られなくなったような、大きな音楽的トレンドが周期的に生まれる。それを日本のレコード会社や音楽メディアが紹介し、日本国内でも売り出して、普遍化して行く。そこに日本の音楽家たちもそれぞれの角度で乗っかる、という流れがありました。
 
でも、21世紀、特に911〜イラク戦争を境にだと思いますが、争いや国内の経済問題で疲弊したアメリカの弱体化であったり、インターネットの一般化ということが同時に起こりました。そこからの流れで、現在があります。いま、個人的には、欧米の無理矢理感ただよう小規模なトレンドを追いかけるよりは、ネットで、アフリカや中東やアジアの若手を聴いている方が、遥かに面白いです。あるいは色んな国の素人さんの歌声を聴くこと。「大衆音楽」というものが、今まさに大衆の手のひらのなかに回帰しつつあることを感じ取れて、最高に楽しいです。こうして世界中の古今東西さまざまな音楽にアクセス出来るし、その全てではないですが、日本から購入出来るものは非常に多い。日本人はそういうかなり恵まれた音楽環境を生きているわけなんですね。2008年かな? remix誌で受けた取材で詳しく語った記憶がありますが、僕は欧米の音楽よりも、主にそういうものを追っかけていました。(もちろん欧米の音楽も聴いてましたよ。古めのものは生活のなかでよく聴いてるし、新しいものでも、HIPHOPとか? でも昔より頻度が減りましたね。やっぱり他の国のHIPHOPを聴いている頻度が高いです。カンボジアとか。)
 
そこにある音楽は「ガラパゴス」という言葉で矮小化するにはあまりにもったいない、豊穣さをたたえた音楽ですが、確かに、世界的な(というか欧米での)商業的な成功を収めているものは少ないですね。まずは言語の問題もありますが、もし欧米で売れたいのであれば言語の熟練度以上に「欧米の生活者のリアリティ」を自分のものとして抱えていることも大事でしょうから、その辺がひとつ障壁になっていると思います。そこをクリアしているミュージシャンが、youtubeなどで世界的な話題になっても、そのままDIYで独自の回路を作り上げるというより、既存のメジャーレーベルに吸収されていくというパターンが、現状では、多いかもしれませんね。けっして、それも悪いことではないですが、これから、他にも、さまざまな新しい音楽家のあり方が現れて来るでしょうね。本当はこれも、もっと長く書きたいですが、ちょっと時間が無いです。
 
そういえば日本のバンドで言うと、洋楽チックで日本的アイデンティティーは低めで個性の希薄なインディロックバンドとかの方が、欧米のローカルなチャートでヒットしたりっていうケースは多いですよね。向こうの文体を全身で再現した中に、外国人であるというほんの少々のエキゾチシズムが加味されて、受容されやすいのだと思います。 逆に本当の個性を持った天才的なバンドでソウルフラワーユニオンとかありますが、はたしてアメリカでバカ売れしますかね? もしそうなったら最高に痛快ですけど、才能とアイデンティティーの濃さが邪魔をして、欧米じゃ伝わりにくいっていうケースもあるのじゃないかというお話なんですが。(僕自身はそういうバンドこそ真に"世界的"なバンドだと感じますけど)
 
いま若い子の音楽的なスキルはどんどん上がって歌やラップとかも凄く上手に、英語的な雰囲気になってますし、ネットも昔より良い感じに活用してる。トラックメーカーの方も、英語圏のラッパーを招いたりして向こうのマーケットを視野に入れたアルバムが増えている印象です。日本から、世界的なヒットを出す人が、ごく近いうちに現れると思います。それもすごく楽しみなのですが、もう一本の道として、「グローバル化する前の声帯」と言うか、日本人の身体からしか出て来ようが無い、極めて日本的な形をした新しい音楽が、日本的なまま、欧米に流入して行く様も、いつか見てみたいですけどね。例えば島根県とかに日本人としか言いようがない個性的な歌を歌うガキが現れて、島根在住のままネット配信して世界中で売れまくったりしたら超面白いですよね。地元でおばあちゃんの面倒を見ながら1000万ダウンロードとかさ。もしDIY STARSのような感じで彼自身のシステムを使って売った場合200円でも約20億。2000円の作品なら収益は200億になります。その金でまったく新しい発想の文化的プロジェクトを立ち上げて島根と近隣国を繋いだりとか、おばあちゃんをサイボーグに改造してオリンピック出られるくらいまで回復させたりとか、うまい棒を20億本買って地球人類の約三分の一にプレゼントしたりとかね。そしたら20億人が彼を認識しますから、ビートルズに匹敵する知名度と言えます笑。でも、そんな馬鹿みたいに売れる必要も無いんです。音楽だけで十分やっていけてるよって存在だったり、独自の経済圏、文化圏みたいなものがもっともっと増えていけば。
 
そういうことが日本だけじゃなくて、これまではポップカルチャーの中心に居なかった、さまざまな国で、辺境で、多発的に起ったら? 音楽が政治経済など世界的な大きな力の潮流を超えて、波間から個別の顔を現す瞬間です。きっと愛らしい顔が見られると思います。いよいよ、音楽で、歌で喋る星に、近づきますよね。もしかしたら、それが僕の夢かもしれません。こんな時代ではありますが、夢だけは子供じみてたくさんある人間なので、これが一番なんだ、とはまだ言えませんが。
 
ついでに僕がやって来たこと「911FANTASIA」「billion voices」特殊な即興イベントである「百人組手」や、異なる生物種が共存するヴォーカリスト集団が声だけで物語を描く「VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!VOICE!」、それから「DIY STARS」「DIY HEARTS」での音楽配信の捉え直し、そしてワークショップで福島の6歳児が作った歌などにしても、ここに書かせて頂いたような認識に基づくもので、今の日本を、1人のインディミュージシャンとして、もがきながら生きるさなかに発想しており、そのほとんどが欧米には類型の無いものだと思いますが、個別にお話しする時間が無いので、この辺で録音作業に戻ります。
 
ここまで書いて来て、ひとつ言えるのは、僕にとって音楽の希望はまったく消えていないし、自分がデビューした90年代末よりも遥かに、わくわくしているということでしょうか。日本の音楽が本当の意味で立って行くのはこれからだと感じるし、今後出て来る若い子たちのことを思うと、1音楽ファンとして、うきうきしてしまうんです。
 
身近なミュージシャン仲間の不遇さを見れば、1日中、ほんとうに焦るし、いらつきますよ。20年前だったらたくさん脚光をあびて自由に作りまくっていたはずの人間が、ギリギリの場所に追いやられている。
 
でも厳しい時代ではありますが、厳しい時代だからこそ、音楽が、こんなにも、本当の姿をさらしてくれるのですね。音楽を、その根源から、問い直すことが出来るのですね。音楽本来の強さと深さが、これまでよりもさらに立ち現れて来る可能性を秘めた、新しい時代を、僕たちは生きているのだと、そんなふうに感じています。
 
自分はとても微力ですが、ガキの頃から音楽にものすごく助けてもらったので、その10%でも、なんとか恩返ししたいです。
 
ではではマイクの前に戻ります。
 
七尾旅人
 
 
 
追記:
ここではポジティヴなことを中心に書きましたが、いま最も足りないのは媒介者です。年長の方が「もう面白い若いやつがいない」ってぼやいてるシーンをよく見かけるのですが、とんでもない話で、面白い若い子めちゃくちゃたくさん居て、過去最高に多いくらいなのですが、要は日のあたるところに出て来れてないだけなんですね。今は、欧米の引用を上手にしたからといって、すぐ雑誌の表紙になって、寵児となって、それが確実に売り上げにも結びつくような、幸福な時代では無くなっている。それが、トレンドからの引用中心ではない、輸入して来た言葉では批評し得ないような音楽ばかりであれば、尚更です。あえて乱暴に言っちゃいますけど、独自性の高い、面白い人ほど埋もれてますよ。これを打破しようとしてアーティストたちはもがいてますけど、やっぱりいちばん求めているのは、作り手と世間を繋ぐスタッフさん、新しき音楽人、エージェントですね。マネジメントやプロモートや海外向けのトランスレートなど、それから欧米主導の20世紀型ポップシステムといった中心軸がことごとく失われ、一気に外部が開き、果てしなく広大に複雑になった地球文化状況をカバーする批評によって幾つもの新鮮な地図を描ける方など、今ももちろん奮闘して下さっている方がたくさんいますが、そうした才能を持った人が新しい世代から新しいアイデアを携えてまた現れてくるたびに、21世紀の音楽が、その本領を発揮し始めると思います。

2013年12月28日 (土曜日)
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今年は 子供の頃から変えたかった自分のどうしようもなさが 
どれほどのたうちまわっても根本的にはかわっておらず 
生きて行く価値がないとよくわかった  
 
昔の武士のように潔くとはいかず 
どうしても作らなくてはならない作品が 
アルバムもライブも配信でも まだまだあって 
そういう未練にひっぱられて ずっと続けている 
続けていると毎日また増えるから ますます 困った事になる
 
重要と思う事にのめり込めば どんどん 真ん中から乖離し隔絶して 
仲間や大事なものから乖離して 離れて どんどん遠ざかって 
どれほど踏ん張っても ひたすら遠ざかって いくことになる
 
なんとか生き方を変えたかったが どうにもならない
 
 
____________
 
アニーという素晴らしい音楽劇がある 
戦争に雪崩込んで行く直前 大恐慌下のNYの孤児院 
僕は主役ではない孤児 ジューンを見ていた 
目立たないけど誰より優しい光をまとっていて 
彼女のような人間が主役の歌を聴きたくて そのことは今後もずっと変わらない
 
どれほど自分が変わったつもりになっても 歌は変わらないのかもしれない 
ジューンから遠く離れて作ったこの アルバム5枚分はあるだろうか 
歌を並べて聴いていると そう思った 
これを来年どうまとめられるかわからない 作り切れないかもしれないけど
 
もし完成したら ここには世界中の片隅の 
ジューンのような ちいさなひかりが 封じ込められるのではないかと思う     
 
高知でみたひかり 東京でみたひかり 
東北で 沖縄で カンボジアでみたひかり  
ポチや動物たちがくれた ささやかなひかり  
アルバム「きみはひかり ぼくのひかり」 
完成させるまでは なんとか と思う
 
 
 

2013年12月23日 (月曜日)
次のアルバムについて   tweetしようと思ったけど長いのでひとつにまとめました

P-VINEスタッフ それから離れてしまったけど前マネージャーの杉山直哉くんには心底感謝していて billion voices以降の作風は 彼らを念頭に置いたうえで自分を出せるか?という試行錯誤だった 
 
恩義あるスタッフや 身の回りの守るべき人間の人生も良い感じに出来る可能性を持った作品で そして自分自身もいちばんやりたいことであること  そんな前提条件に基づいて僕は音盤の形を発想するようになった
 
音楽不況の中でいちばん苦しんでいるのはミュージシャンではなく レコード屋さんやレーベルであったりとかそのまわりで支えて来た人で(演者は力さえあれば路上で鳴らすだけでもやっていける レコード産業のごく浅い歴史より遥か昔から そんなふうにして芸人は存在し続けている)
 
懸命に支えようとしてくれた人達を前にして ようやく自分は1stから3枚組の911FANTASIAまで続いた強過ぎるエゴを越えた場所で作れるようになり 
 
その結果 お客さんにも伝わりやすい作風となって行ったのか 前作はインディとしてはそこそこ売れた  無茶なイベントを繰り返し 動物や 化け物じみた表現者たちと即興しながら下手なメジャーより売れてる それは良きスタッフに恵まれたおかげと思ってる 
 
今のスタッフはなにひとつ口出しして来ない「やりたいように作って下さい」と言ってくれると同時に 生まれつきヘイトの塊である僕には向いてないのでは?と思えるような華やかな場での仕事や CM仕事なども 取って来ようと尽力してくれている 僕の音楽を マイナーな場にとどめておくのをもったいないと考えてくれているのだ
 
自分はデビュー時から別人になったわけではなく 悲しいほど同じ 屑のままだが 注いでもらった愛情が 選曲や編曲のアプローチを変えて行ったし 自分の創造上のポリシーを多少越えたところでも 何かしらの仕事をできる程度の 広めのキャパシティを身につけたいと思っている
 
なので次に出すアルバムが デビューから15年の流れの中で 特に重要なものであることも理解しています
 
だけど次作は2枚組アルバムにしないと生命活動を続けて行く事が無理だと判明したので そうします  すみません
 
曲は出揃っていますが まだ1音も録っていないのでリリースまで1年近くかかるでしょう
 
タイトルは変わるかもしれませんが 変更がなければ
 
「きみはひかり ぼくのひかり」
 
音で出来た遺書です  これまで愛してきたものに捧げます



2013年10月25日 (金曜日)

大石始さんへのDMを間違ってtweetしてしまっていて
穴があったら入りたいんだけど
どうせ見られたんだからそのまま全文さらしとく
 
 
大石さんがこういうありがたいtweetをしてくれた

「RT @OISHIHAJIME フェギドン・タンピョンソン、明日はなんと七尾旅人さんと共演です。 アジア最高峰のシンガーソングライター/ヴォイス・パフォーマーの共演。韓国音楽にまったく興味ない方にこそ、会場に足を運んでいただきたい。そして、打ちのめされてほしい。http://t.co/LH6wsl3pHA 」
 
 
なのにアホな俺がこんなtweetをした

「RT @tavito_net アジア最高峰ではなく世界最高峰です♥僕は   でも高知県内で言うと3位です (☽ ̍̑⚈͜ ̍̑☾) 」
 
 
そうすると大石さんが気を使ってくれてこんなDMをくださった
「アジア最高峰とか書いちゃってすいません。なんか旅人さんとタンピョンソンの共演に同じアジア人だからこそのミラクルが起きそうな気がして」
さらに 明日調整できたら観に行きたいですと言ってくれた

そしたらアホな俺がこんなDMを返した
しかも大石さんだけに返したつもりが全世界に向けてtweetしてしまっていた
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いえ わけのわからない大口きいてすみません! 少し高揚気味だったので...  明日もしお会い出来たら嬉しいです
 
今夜はNY公演の仕込みをしていて アイコンもそうなのですが 自分の中のアジア性を押し出して行く作業が楽しくて^^ 今までも音量操作や間合いなどLiveでは日本人でしか出来ないエッジを目指して来ましたがNYでそれが全く理解されないかも...という想定も含めて楽しんでいます
 
即興演奏ではこれまでどの国の人にも驚かれましたが 持ち曲だけのライブは初なので 楽しみと不安と半々なんですよね
  
少しだけ思ったことを書かせて頂きますと  僕たちの上の世代の天才とは基本的に欧米の模倣が上手な人たちのことでしたが これからは違うなと感じています 日本の音楽は借り物ではない社会性と必然性を帯び始めてます(というか帯びることを迫られています) なのでアジアとの限定は不要かなーと  
 
自分に関して言うと911FANTASIAとか百人組手とかDIY STARSとかVOICEとか作りましたが欧米に同様の行動パターンをとっている音楽家は1人も居なかったからです
 
僕から見るとみんな古典的に見えます ベックもジェイムスブレイクも もちろん素晴らしい才能だと思いますけど...   ジョニミッチェルとかあるいはブラジル勢なんかのほうが刺激的で好きです〜 タンピョンソンにはまだ世界的な独自性は感じてないですが愛すべき隣国の友人だと思っています
 
思いがけず長くなってしまい ごめんなさい!  今夜は妙にテンション上がりぎみで寝付けずに居ましたが寝床に入ってみます  最近いちばん気になっているのは大石さんが掛けたというミャンマーの音楽です  tweet&DMありがとうございました
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以上です
 
躁状態でなめたこと書いてすみませんでした
 
ベックさんもジェイムスブレイクさんもみんなリスペクトです
独自の美とアティテュードを持った人たちです
 
タンピョンソンとは今日実際に会うのが楽しみ
音源 面白かったけどそれだけじゃ部分しかわかんないもんね
 
自分は もっと頑張ります!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 
 おやすみ